安全希求と探索希求 ボウルビィ アタッチメント

アタッチメント(愛着)があるので、
子と親は共同して「安全基地」を作ることができる。
基地ができると、子供はそこから外界に向かって探索行動を始めるようになる。
親は、子供が安心を求めているときは安心を、
探索を求めているときは探索を、
提供する。それが親の適切な機能である。
子供が安全を求めているのに
親が探索を促したり、
子供が探索を求めているのに親が安全を提供したり、
そのあたりのタイミングがずれると、
発育がうまくいかない。

子供の発達については
詳細に見て行くと限りもなく果てもない
流行の理論に沿って見て行くと実際そのように見えてしまう
別の理論が流行りだして、その理論に沿って見て行くと、
やはりその通りに見えるから、実に不思議なものだ。

トラウマ理論はその典型で、
一時は、トラウマは?という観点で見て行くと、
子供の場合、限りなく多様なトラウマに囲まれているのだと
考えさせられた。

流行が過ぎ去ってみると、
ある程度のトラウマは対処できるものだし、
そのことで発達促進することもあるのだと思えて、
普通程度ということがもう一度確認できるようになる。

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昔数学で
行列を使うか複素数を使うかとか、
幾何学で解いてしまうか、代数にして方程式を使うかとか、
流儀によっていくつかの方針が考えられると
習っていたように思う。

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子供の行動障害の場合、
発達の観点が加わってくるので、
大人の場合よりも尚更複雑な観察と関わりになる。

プレッシャー面接などと言って、
手順どおりに負荷をかける面接をして、
子供がどのように反応するかを記録したりする。
時にはビデオに撮影して、
統計処理したりする。
こんなことができるのも、なんとなく相手が子供だからだなあという気はする。
相手が子供と言うので、診察する側の大人の脳は特権的な部外者になってしまうようだ。
もちろん親も共同しているのだが。

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完成途上の脳を観察して、成人の病気を観察して、さらに老年期の脳を観察して、
これらを一体のものとしてつなげると、
何かとても人間が単純なものに思えてしまうから、不思議だ。

子供時代のある特徴が大人になって強く巧妙に出るわけだし、
いろいろ理屈をつけたり、粉飾してはいても、結局こんなあたりのことかなあと見当がついたりする。
老年期になって上位からの抑制的なコントロールが取れたときには、
子供時代の行動パターンが再び現れるといったわけで、
何も変らない。

こんな風に思うのは、
観察する側の硬直性なのであって、
硬直した切り方で子供と大人と老人を切ってみれば、
同じ切り口が見えるというだけかもしれない。

単一の観点で見れば世界は単一になるはずだ。

流行の只中にいるときは分からないが、
流行の外側に立つときがあれば、
そのパラダイムの強力さが分かる。

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大人の脳の研究よりは子供の脳の研究の方が
新技術を応用しやすい。
遺伝子と絡めての研究も進んでいる。
遺伝とかの話でも、
環境にさらされる時間が短い分だけ、
顕著に現れるのだろう。

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子供の脳も大人の脳も、脳なのだし、
大人となっても変化は続けているわけだし、
変化の向こうには老化があるわけだし、
連続したものだと思うが、
理論のフレームとしては
子供脳と大人脳ではかなり違うので、
これも面白いところだ。

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先日の小児精神の勉強会では左利きで左でペンを握っている人が何人もいた。
これもおもしろかった。