野坂昭如さんが、かつて
「自国の女を犯されても、どうすることもできない。
それが戦争に負けるということだ」とエッセイに書いていた
沖縄について
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愛の行為と犯罪行為が
行為の外形において同一であるということが
謎である。
これを同一と見る見方が根本において粗雑過ぎる。
こうした錯誤を放置するのはよくない。
また、本当に、
「自国の女を犯されても、どうすることもできない。」のかどうか、
検討を要する。
充分な教育の末にもやはりそうなのか。
日本の人にも米国の人にも充分な教育がなされて、
その上でやはり、
このような絶望的な言葉が発せられるのだろうか。