後朝 きぬぎぬ オーラ

男女が一夜を共にしたその翌朝を後朝という。
「後朝の別れ」にあたり、賞賛、恋心の一層の深まり、帰るつらさ、またすぐにでも逢いたい気持ち、魂が肉体を離れてあなたのもとに行ってしまいそう、などを和歌に仕立てて贈り合う。
さて、当時の状況として、現実に後朝がそれほどに辛いものであるはずはない。
いい人であったなら、また逢えばいいわけで、それだけのことだ。

個人的には、
はじめての夜が明けて、その朝の別れが辛いとはあまり思わない。
現代人は多分そうではないか?
ずっと長く思い続けていた人と、たった一度だけ夜を過ごすことができて、
しかもそんな夜はもう二度とはないのだと思えば、
後朝の別れという感覚は発生するだろう。
とても危険な不倫という感じだ。

従って、平安の暇人セックス狂いの人たちも、
(ずっと思い続けていた+最高だった+別れが辛い)
というフィクションの中で歌を詠んでいたはずだろう。
それでもやはり、別れが辛いという感覚は分からない。
若い頃はそうだったかな。
でも、逢っていればそれなりに気は遣うし、
勝手気ままとは行かないのだから、
朝になってホテルを出る時に少しほっとしているのではある。

昔の話、湯島のラブホテル街を朝早く通った。
ラブホテルから女性が一人出てきて、こちらに歩いてきた。
わたしとすれ違った。とてもドキドキした。
美人というのか、魅惑的というのか、素人のようでもあり、
まじめな人妻が割り切ったという風情でもあり、
やはり玄人のようでもあり、
間近で見ると圧倒的な美人だったのだ。
きぬぎぬは人を輝かせる。
夜とは違った光に包まれる。
オーラだね。