コミニュケーション不全

確立されて共有された病像ではないが、
コミニュケーション不全
とでも言うべきものがある。

二方向の不全を含む。

*****
自分の考えていることや感じている事を
簡潔に相手の分かるように説明できない、伝えられない。
なぜ伝わらないのか、もどかしい。

やっと伝わる人が見つかったと思うと、
過度に期待して、時間がたてば失望し、
その時点で大きく落ち込む。

その悲痛な感覚を説明するがたいていの人には分からず、
強くなれとか大人になれとか言われていやになっていると、
そこに、やっと理解してくれる人が現れて、その人に大きく依存し、
しかしまた、時間がたてばその人に失望し、傷つき、どうしようもなく落ち込む。

何度も落ち込むごとに落ち込む癖がついてしまい、ますます傷つきやすく、落ち込みやすくなる。

*****
その一方で、他人の話を受け取る能力にも偏りがある。
言葉の一部分に反応したり、
相手の本当の意図を取り違えていたり、
あるいは非常に鋭くて、相手はわたしを軽蔑しているのだと
(この場合には正しく)結論を見抜いたり、
いろいろあるのだが、とにかく一定しない。
被害的な受け取り方をして傷つく場合が多い。

相手にすれば、自分の話がどのように相手に受け取られるのか不安定なので、
慎重にならざるを得ず、
その様子を見ていると、
どうしてそんなにももどかしい話し方をするのかといらだったりもする。
短く言えばそっけないとなじられ、
長く言えば、言葉尻をとらえられる。
相手の方が、だんだんノイローゼになる。

*****
つまり、他人に理解させる方向にも障害があり、
他人を理解する方向にも障害があり、
不安と絶望を抱え、抑うつやパニックの発作を繰り返す。

とりあえず一番理解してくれるはずの人は母親という例が多いのだが、
その母親が、一番先に、理解しきれないと音をあげ、
距離を置く。
そのことに大きく傷つき、人生の最初の不幸として刻印される。
あとはそのパターンの繰り返しである。
恋人に急接近して失望し、崇拝者に急接近して、失望する。

コミニュケーション不全は改善されていないので、
相手が変わっても、必発である。

とのときどきで、理解してくれそうな人が見つかり、それが裏切られ、と
不安定な状況が続くので、つらい。
相手はおおむね、異性であり、有能な先輩であり、寛大な同僚であり、依存してくる子供である。
そういった親密さ自体が病的なのだが、
取り敢えずの平安に飢えている人には、それが愛に見える。
恋愛であり、崇拝である。
そこには自己愛成分も混入している。恋愛も崇拝の自己愛の幻想を充たしてくれる。
時間がたてば、解きほぐすことも困難な複合体になる。

*****
本当に困ったことだが、
電話していてこちらの言葉が途切れ途切れになり、
かつ、あちらの言葉が途切れ途切れになるようなものだ。
脳の中でそのように「つながらない」状態が生まれている。

解釈の偏りは、言葉だけではない。
表情の解釈、行動の解釈、とくに目つきの解釈など。

また、表現の偏りは、言葉だけではなくて、行動も、表情もある。
相手の誤解を誘発する。
誤解を招かないような配慮が出来ない。

*****
ここまで書いてくれば、
間違いはone pointなのではないかと仮説することもできる。

つまり、相手の心が分からない。
私がこんな風に言ったら、相手の人はどんな風に思うだろう。
私がこんな表情をしたら、相手はどう思う?
相手がこんな言葉を言っているときは何を思っているのか。
相手がこんな表情をして、こんな行動をとるときは、どんな事を思っているのか。

*****
自体を複雑にするのは、
こうした体験のすべてを語るのが、その壊れている本人であるということだ。
すべてその人の、障害のある心を通してしか、描かれることが出来ない。

*****
こう書いてみれば、解決策も見えてくる。
どのように成長してもらうかと考えるのだが、
まず自分を映す鏡を用意することだ。

たとえば、へたくそなスケッチをして見てもらう。
ものがどのように見えているのか、者の関係がどのように見えているのか、
描いてもらう。
たいていの人は、
自分の書いたものを外部化して客観的に見れば、
あれれ、この人は、他人の心が分からないのだと気付く。

そこから、スケッチの練習をする。
そして他人に伝える練習をする。
他人を推測する練習をする。

そのことは、普通、母親との交流を通じて、
幼年期に準備されるべき事柄であった。

*****
不思議なもので、人間の脳の中で、
下手な絵を描く部分と、
その絵は下手だと感じる部分とは別のようで、
つながっていないらしい。

つながっていれば、
おかしくない絵を描けるはずなのだ。
でもたいていの場合は、描けない、だけど、おかしいのは、わかるという、構造になっている。

*****
絵と違って、
他人に伝える、他人を解釈する、他人の心を推測する、
このあたりのことは、つながっている部分なのだと思う。
中心にあるのは、他人の心の推定である。

*****
このあたりにも、さんざん言われた話があって、
他人の心を推定するためには、
自分の心をモデルにするしかなくて、
自分の心が破綻している場合には、
相手の心も同じように破綻している場合しか、推定できないことになってしまう。
だから、モデルが壊れているときには、
何を基準にして推定すればいいのか、分からないから、
原理的に推定できない。

被害的な心を持つ人は、
相手の心についても、被害的な心を推定するので、
相手は被害的に受け取ると推定し、結局、自分を否定する結論になる。