知は愛なり
という言葉があって
いろいろな解釈があるだろう
その人についてよく知れば知るほど
愛は深まると思う
知れば知るほど嫌いになることだってあるとか
愛は知ることとは次元の違うことだとかの意見もあり
それぞれ妥当だとは思うが
やはり
深く知れば深く愛するだろうと思う
知ることとは次元の違う愛というものがあるとは思うけれど、
その愛は、深く知ることのきっかけになるものだと思う。
とりあえず子孫を残すだけの愛ならばそれで充分だけれど
そしてどうにか育てているだけでたいていの人生は終わるのだし
それ以上の何かを考えても望んでもどうにもならないのも現実である
それで何の不足もない人生なのだ
それでいい
考えすぎてもいいことはない
しかしその先を考えることもできるということだ
他人であるその人は
脳を持っている
お互いに共通の部分もあるが相異も大きい脳である
生まれた瞬間から違う景色を見て育ち
違う経験をして人生を生きてきた
そのような他人を知ろうと意思すれば
様々な発見がある
そしてその人にはその人なりの必然もあるのだと
思い知るようになる
それぞれの人にある深い事情は
それを知れば知るほど共感できるようになるものだと思う
共感できないのは
知らないからだと
思う
たいていの人は
他人によく分かるように自分を説明する事をしないし、できない
他人に分からせることが生きることではないからだ
他人によく分かるように自分を説明するには、
ある程度他人を知らないといけないが
それがそもそも難しい
そんな時に他人を理解するには
もっと積極的に理解する意思が必要である
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他人について何も知らなくても
まったく問題はないだろうと思う
職人ならばその仕事をしていれば生きていくことができる
それでいい
充分である