東急渋谷本店前田真三展

本当に久しぶりに渋谷の町を歩く
真夏の渋谷はこんな感じか
ぴったりの言葉は見つからない

渋谷東急本店はひっそりしている
品揃えは他の百貨店と違わないし
並べ方も空間に余裕があってすっきりしていて
買い物しやすい感じがするれど
人がいない
静かであることは
私にはありがたい

会場も空いている
前田真三は最初はサラリーマンをしていてアマチュア写真家として
活動していた。
実際、風景写真で言えば、
プロとアマの差などはっきり出るものでもなく、
要するにシャッターチャンスをどれだけ待てるかということだろう。
とすれば、自然に、プロになるのだろう。

前田真三の写真集は大体持っているし、
展示してある写真は見たことがある感じなので、
今回は大きくして見たということになる。

会場の最後にDVDの放映の場所があって、
そこでしばらくの時間をすごした。
写真集を持っているよりは、DVDを買って、テレビで眺めた方が気持ちよさそうである。

画面を見ているうちに、
NHKの台風の夜の深夜放送を思い出す。
妙な緊迫感があるのに、
妙に美しいとっておきのビデオが流れていたりする。

前田真三の風景写真は東山魁夷とよく似ている。
女子供にも安心して見せられる種類のものだ。
平山郁夫も含めて、NHKと文科省の推薦版ということになる。
毒がなくて、かつ、芸術になりえている。

安全安心平凡。
いいものだ。ただ落ち着く。

風景はほとんど模様になっている。
風景は画面構成の練習になっている。

遠景と中景と近景がある。
山があり、田んぼがあり、花がある。
徹底してそれだけである。
そしてわたしはその景色がたまらなく懐かしいのだ。
風景構成法の原理である。

北海道美瑛の景色はむしろ日本の景色としては珍しいのだろう。
近くに山が迫っていない。
雑木林の一群がない。
田んぼというよりも、ラベンダー畑である。
教会がぽつんとあったりする。

このあたりのラベンダーを育てたり、
このあたりのアスパラガスを食べたりしていた頃がある。

田んぼのない耕作地にキリスト教教会があるというのは
日本では珍しいだろう。
私は聖職者の生活を空想する。
わたしはそのような生活を選ぶべきではなかったかと空想する。
今からでもできるのだと空想する。

歩きながら写真を見ているよりも、
座ってビデオを見ているときの方が
空想は広がるように思う。

写真は、撮影したあと、色彩については多少の変更ができるのだろうと思って見ていたが、
ビデオを見ると、そんなことも特に必要ないようだと思う。

典型的な日本の農地に立つと、まず遠くに山が見え、水はそこから流れてくる。
そして近くに川があり、水をもらっている。
田んぼは長方形のことも多いけれど、棚田だったり、
優雅にカーブしたりしていて、一定しない。
農家の人が苦労して、最大の面積を決定したのだと思う。

そのようにして確保された平面に、
徹底して強迫症的に苗が植えられている。
さらに強迫症的に水分の量が調整されている。
またさらに強迫症的に、雑草を処理している。

*****
この世の懐かしい風景のひとつとして
私は記憶するだろう。

私の生きたこの世界は懐かしい世界であった。
離れ難い。

*****
東急の静けさから一転して、
渋谷の町のヒート・アップを感じる。

*****
渋谷の町には訪れる回数が少ない分、
店の一つ一つに思い出がある。
東急本店のタントタント。
東急本店のすし屋さん。その頃は幸せだったし、ありがたかったと今でも思っている。
私の人生の数少ない幸せな場面である。
何と言うこともない平凡な場面が幸せの代表的な場面として記憶されている。
どうして袋小路に入り込んで苦難の状況が続いているのか、いまだに理解できない。

本店近くのベトナム料理屋さん。

駅まで歩く間にペコちゃんのお店、フジヤ。

セルリアン・タワー。

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東急本店の地下には紀ノ国屋が出展している。
東急スーパーの高級店を入れればよかったのにと私は思う。
東急スーパーが好きだから。