恋愛アイテムとして考えれば
平安時代の和歌は
現代の携帯に相当する
デートの待ち合わせと
期待と
謝罪と
感謝と
まめな人にとってはいろいろと忙しいはずのものだ
和歌を直接本人に渡すのではなく家のものに渡すというあたりは、
携帯電話で直接呼び出すのではなくて、
携帯メールを一応出しておいて時間のある時に読んでいただくのに似ている。
和歌のやり取りも
最初のうちはいつあなたのところに行きたいとかスケジュール調整の手紙で
女は重複しないようにその日は物忌みでとかうそを言う
そのうち次第に文学的洗練が始まり
同時に自己愛的な要素も強くなり、
同時に遊びとか歌合せの要素も強くなっていったものだろう。
携帯もいまはこんな程度のものだが
そのうち文学的に洗練されたものになるかもしれないのだ。
多分時代を反映してマルチリンガルになる
マルチメディアになる 音と映像付き
共通の体験を短い言葉でほのめかす技法は変わらないと思う
三角関係にある三人が
お互いに通信を傍受することは
多いにあると思う。