意義深い夢を見ている
夢を見た後しばらく考え続ける
夢はもうひとつの人生である
夢はつまり
壁のシミがどんな物語に見えるかということであって
まさしく自分の内面に他ならない
夢を正確に他人に伝えることは多分不可能だと思う
映像にするとしても
時間の伸縮もあるようだし
論理が破綻している部分もあり
こんな夢なんだけどと夢を前提とすればなんとか
そんな夢なのねと伝えられる感じで
なかなか難しい
言葉は抽象度が高すぎる
夢の柔らかな部分を全部壊してしまいそうだ
しかしそのことによって現実の意識は成立しているのだろう
ネット世界の夢にくるまれて
夢ほどではないが
ネットのやわらかさの中でまどろんでいたいのが
現代精神ではないだろうか
夢と現実との中間形態してのネット
外部の現実を押し付けられることはなく
嫌になったらスイッチを切ってしまうこともできる
まあ、夢はこわい夢でも途中でやめられないけれどね 走り疲れるまで