現実とバーチャルの区別がつかない ネット依存の背景と治療

バーチャルという言葉も最近あまり聞かないような気がする
まあ、それどころではないということも事実だ

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ある先生のあげている症例は、例によって創作だが、
高校2年女子、昼夜逆転、不登校、一日パソコンに向かっている。
精神疾患や心理学のサイトを好んで閲覧した。そのうち自傷行為の体験者サイトに
行き着いた。そこでメールを交わす友人を増やした。
自分のリストカットして、掲示板に書き込むようになった。
行動がエスカレートして、腕が傷だらけになった。親が説得して来院した。
ネット仲間から引き離す意味もあって入院とした。
入院病棟で自身の体験を吹聴した。聞かされた患者も自傷行為への興味が増した。
連鎖反応が深刻になった。

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自傷行為はどのくらいか分からないが
ダイエットから始まる過食と食べ吐きについてはネットからの情報が
大きく影響していると思われる。
一方でダイエットは圧倒的に雑誌の影響が大きい。

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ネットに依存している若者は、何よりもインターネットを優先する心理構造を持つ。
メールやチャットにのめり込む。
自分のホームページや掲示板でバーチャルな世界に自分自身の人格を投影する。
現実生活では比較的内向的・非社交的で対人関係に不器用な若者や、
現実社会で強いストレスを感じている者、
何かの欲求不満、
トラウマを抱える者、
などが多い。

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現実体験での不適応を契機にネットに没入するケースと、
ネットに没入した結果現実不適応になるケースがあるといわれ、
前者は治りにくく、後者は治りやすい傾向が指摘される。

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現実生活で不適応な人がネット社会で適応できるのはなぜかと疑問がわくが、
必ずしもうまく適応しているわけではない。
ただ現実よりはハードルが低いだけなのだろう。
あるいはネット社会に適応が悪くても何も問題にならないのだろう。

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最近は直接に精神医学的な情報がやりとりされている。
向精神薬の情報、特に体験談、入手法などがあり、中には不正確で治療の妨げになる情報もある。
その中から有用な情報をより分けるのも大切なことなのだが、
精神病は一面ではそうした情報処理システムの異常なので、
何かを全面的に信じ込んでしまうこともよくあることであり、
訂正できないこともある。
従って、最初にどんな情報に接するかは大切なのだと思われる。

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ネット社会の匿名性はよく言われることで、
自分の本当の姿を隠してこそ、
言いたいことが言えるし、表現が可能になると言われる。

逆に考えれば、それだけ不自由な社会に生きていると言うことでもある。

匿名性は誰かの悪口を言い、傷つけることが可能になる社会でもある。
それは被害に遭うまでは
「私も漠然と知ってはいました。しかしこんなにもつらいものだとは知らなかった。」
というような感想が多い。

攻撃している側はつらさが分からないことも多いらしい。

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自殺や自傷行為に関するサイトは多く存在する。
一時期ある物質を家庭用の何かを混ぜることで生成する方法が流布し、
流行の観を呈したことがある。
これもネット社会になって初めて可能になったことだろうと思う。
少なくとも全国版の雑誌ならば編集者の目がある。

自殺サイトに惹かれる心理を
バーチャルな世界に陶酔して、現実とバーチャルな世界との区別がつかなくなったと
表現する人もいる。

さらにそうした若者の心理の背景には、
アイデンティティの喪失やトラウマの存在があると指摘されている。
そのような人格は心理的に現実世界との乖離が生じやすく、
同時に自分の人格の内部でも乖離が生じやすいとされる。

果たして、自殺サイトへの誘惑が、
現実とバーチャルな世界との区別がつかなくなったことと関係しているのか、
疑問もある。

現実世界でつらいことがあっても、
バーチャルな世界が保たれていれば、死ぬほどのつらさはないだろうと思われるからである。
むしろ区別がついていて、
現実世界ではもうやっていけないと視野狭窄するからではないかとも考えられる。

現実世界や自身との乖離は離人症とひとまとめに言えるだろう。
また、自分自身との乖離は、多重人格の発生にもなるだろう。
アイデンティティの喪失やトラウマの存在が疾患の原因として作用しているかどうかは
疑問がある。
原因であるかもしれないが結果であるかもしれず
確定できない。
PTSDについては深刻な反省がある。

アイデンティティの喪失は個人的な事情で起こるものではなく、
工業化社会やその後の情報化社会の進展と関係して起こっている現象であり、
トラウマの存在と並列するのは適切ではない。

むしろ先祖の地を離れて都会に出て、
知能はあるが人生の行く先は与えられず、
一時的なモラトリアムを与えられた精神は
必然的にアイデンティティの危機に陥るというものだろう。
そのような学校制度の結果であり、そのような都市社会の成立の結果である。

ネット社会の害悪が今言われているように、
昔は東京という大都市社会の害悪が言われていた。
すさんだまたは希薄な人間関係、
隣人に感心のない生活、
農産物や工業製品を生産することなく消費するだけの生活。
製品や文化を消費するだけの存在。
大量消費文化。
こうしたものが一時問題視されて、しかしあっという間にそれらは地方に分散し、
東京の問題ではなくなり、日本の問題になった。

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自傷行為の前段階として、自己不全感やアイデンティティの不安定さを訴える例が多い。
自分が本当は何をしたらいいのか分からないなど。

また、自傷行為の後、誰かに見せたがる傾向がある。
それは傷を見せることで、自分の内面の暗い悲しみを訴えようとしているのだとも言われる。

自傷行為は通常一回では終わらない。反復される。
従って周囲は反復を前提として対策を考える必要がある。

ポイントは自傷行為に至る心理をなるべく共感的に聞くことである。

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バーチャルな世界と現実世界の境界が曖昧な患者さんと表現すれば、
それは昔から言うところの、精神病水準の病態である。

昔は自分の内面の空想と現実の区別が曖昧な人と表現されていた。
夢と現実の境界とも言った。
思考と現実の境界とも言った。
自己の内と外
という言い方もあった。

それが最近バーチャルと現実の区別と言い換えられているようだ。

はたしてネット世界はバーチャルで、
昔から言うところの、意識内面、夢、空想に近いものなのだろうか。
実際はそうとばかりも言えず、多くの人とってはかなり現実世界に近い物なのではないか。

たぶん大半の人はネットも携帯も現実的に使っていると思う。
会社の帰り道に何を買ってきてほしいとか。
今日の帰りは何時になるとか。
夜ご飯は何にするから昼ご飯は気をつけてとか。
この間言っていた商品が安く出てるけど買う?とか。

しかしそんな情報に紛れて
自殺サイトとか自傷行為、誹謗中傷のサイトがたくさんあり、
そこに吸い寄せられる人たちがたくさんいる。

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問題は出会い系サイトにもあると言われている。
ある程度ネット・リテラシーがあれば気をつけるに決まっているが、
若い人はなぜかその種のものにだまされる。
あるいは危険を過小にみている。
これは教育が遅れているとも言える。
子供でも歌舞伎町の真ん中を平気で歩くことはないだろう。
渋谷は平気で歩いているが。その方が難しい問題かもしれないが。

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もし、ネット社会が空想や夢に近いものならば、
目を覚ます必要がある。
治療は目を覚ましてもらうことになる。

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思春期の心性として、不安定で揺れが大きいことが
周囲の人を振り回す。
あるときには非常に依存的になり、
あるときには非常に攻撃的になり、
様々に変化する。
拒絶に敏感で、拒絶に対する反応は衝動的である。

周囲の対処としては、
できること・できないことをはっきりと取り決めしておくこと。
依存を拒否するときは、きちんと理由を伝え、それがあなたの成長に必要なことなのだと
伝えること。

ネットや携帯の全面禁止はかなりつらいらしい。
一日に何時間という程度で取り決めするのがよいだろうと言われている。

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こうしてみてくると、
ネット依存症やネット関連の自傷行為などに関して、
特別の治療法があるのではなく、
その背景にある病態に応じて、
精神病的対応をとったり、
人格障害的対応をとったりする。
若者である場合には、療育・教育の観点が必要になる。
成長を見守る態度が不可欠になる。