CMやゲームによる強制教育機能

テレビ・ビデオ・ゲームの子どもに対する問題点として、
強制教育効果があげられる。

大人の場合でも、テレビを見ていて、
つまらないコマーシャルと反感を持つことがあるが、
実はそれでもコマーシャルの目的は達成しているのだ。
脳に刻まれるから。
悪いものとしてでも、とにかく脳に刻まれる。
本当は、悪いもの、嫌いなものだから、脳の記憶からすっかり消しておきたいところだ。
しかし脳はそのようにはできていなくて、
反感を持ったとしても、しっかり覚えてしまう。
あるいは潜在的に覚えてしまう。

このあたりが問題で、
これが価値判断が曖昧な子どもになると、
さらにひどいことになる。
手当たり次第に覚えて、CMソングを歌っていたりもする。

ヒーローが皆殺しをして誰か大切なことを助けたり何か大切なものを手に入れたりするが、
皆殺し以外に交渉の手立てはないかと考える回路が育たない。

与えられたものをしっかり学習してしまう。
たとえそのときこれはゲームだと分かっていたとしても、
やはり深いところでの教育効果はある。

相手を見てまず戦闘能力を評価するのであるから、
現実としてはひどいことだ。

話し合いをして交渉をして時間を待つこと、別の交渉手段やルートを使うこと、
粘り強く情報を伝え続けること、また自分でも改めて情報を咀嚼すること、
けんかになっても、けんかに勝つことではなくて、
どうしてそんなけんかになって双方が消耗するのかを考えること、
そのような態度が現実的態度というものだろう。

アメリカはたぶん情報操作だけで世界を間接支配できるのであって、
現実の兵器を蓄えているのは兵器産業との癒着の結果に過ぎないし、
軍人を養っているのは失業対策だろうともいわれる。

そんな中で、殺せば殺すほど強くなっていくゲームだとすれば、
やはりおかしなものということになる。
現実には殺せば殺すほど自体は悪化し人間としても悪くなるのである。

問題は、それを、脳はおかしいと知りつつ、脳のどこかに書き込んでしまうことなのだ。
そして何かの機会に再生される。

それはおかしいから、脳に書き込まないでおくというようにはできない。
脳のどこかに書き込まれる。
だからこそ、しつこくCMを流している。

たとえば昼に流れている疾病保険のCM。
見ている方はうんざりするだろうがお構いなしに脳に刷り込まれる。

いい商品ならば自然に売れると
上品に構えてはいられないらしい。

そんな世界であるが、せめて子どもの教育だけは気をつけようではないかということだ。

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そのような一種の強制学習があるからこそ会社はCMにお金をかけている。
また報道内容にも圧力をかけている。

価値判断ができても覚えてしまうし、
価値判断ができない子どもはなおさら覚えてしまう。
これがメディアの問題点である。

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水戸黄門も違法な情報収集と暴力によって構成されているのであって、
悪玉を人間として改心させるには至っていない。

現実生活でも、殺人はしないものの、裁判によって実質的に相手の人の
人生を大きくねじ曲げ、あるいは実質的に社会的に葬っているわけで、
そのようなことが平気で起こる社会というものは実におかしい。

日本の裁判制度はお金持ちが勝つような制度になっていて、
これはゲームの世界で武器をたくさん持つ側が勝ったり、
戦争で兵力に勝る側が勝ったり、
そのような原始的な世界のようだ。
理性の裁判ではなく狂気と強欲と怨恨の裁判になっている。

およそ、裁判によって人生が救われたという話を聞かない。
攻撃している側がもっとも心が貧しいという側面もある。
罪の確定までの間に両者の人生が台無しになる。
その間とそのあとで生きているのは弁護士だけである。