大変落ち着いたレポートで参考になります。
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【1】初めての心療内科で、パニック障害と診断された私
2008年10月3日 金曜日 藤岡 清美
パニック障害 心療内科 うつ メンタルヘルス カウンセリング 読者の皆さん、はじめまして。このコラムを書くにあたって、まず皆さんに知っていただきたいことがあります。
私は、精神科医でもカウンセラーでもありません。ひょんなことからパニック障害になり、心療内科に通ったことのある、いわゆる「患者」です。
これを聞いて、皆さんはどう思われますか? 私のプロフィールを読み直して「ふうん、この人がねえ」と好奇心に駆られるかもしれません。それはきっと、当たり前のリアクションだと思います。
日本ではまだ、精神科や心療内科にかかることがタブー視される文化があります。私もつい何年か前までは、この文化や思考にどっぷりと浸かっていた一人でした。ですから、カウンセリングに行きたくても行けない人が日本にはたくさんいるだろう、ということは、想像するに余りあります。
私は専門家ではありませんので、この連載の中で専門的な知識や対処方法をご披露することはできません。ただ、私のささやかな(しかし私自身にとっては大きな)体験談や、そこから得た気づきをお話しすることで、同じ悩みを持つ人、そしてその家族や友人に対して、何かのきっかけづくりになれば幸いに思います。
誰だって、“心の壁”にぶつかる素地を持っているのですから。
友人が抗うつ剤を処方された、と聞いて…
かれこれ10年以上も前、大学を卒業して就職するまでの暇な期間を、のんびりとサンフランシスコで過ごしていた時のことです。
居候先の女友だちに、「プロザックを処方された」と打ち明けられました。プロザックとは、米国で当時大変なブームになっていた抗うつ剤で、一般人の私でさえ名前を知っていた薬でした。それを聞いた私は、その薬の名前への抵抗感や、やめられなくなるのでは、という勝手な憶測から、その友人に「薬に頼っちゃだめ!」とか、「病気なんて、気持ちの持ちようよ」などと励ましたものでした。
サンフランシスコを離れた後、その友だちから「プロザックを飲んだら、よく効いて、飲んで本当に良かった」というメールが届きましたが、そのメールに対しても私は、「えー、飲んじゃったの?」といった態度で返事を送ってしまったのでした。彼女は律儀にも、私が家を出るまでプロザックを飲まずにいたようなのです。
当時は彼女の親友を気取っていましたが、今考えると、なんと身勝手で無責任なアドバイスをしていたのだろうと思います。そしてまさに因果応報というか、数年後に自分自身にも同じ状況が降りかかってくるのでした。そのきっかけについては、詳しくは次回以降でお話しします。
こうして30代のある時、心療内科に通うようになってから、いくつかの貴重な発見がありました。第1の発見は、世間には、専門家に相談したいと思っても、勇気がなかったり、恥ずかしがったりして、なかなか行けない人たちがたくさんいるということです。
例えば、心療内科に通うということで、会社や周囲の人から張られる“レッテル”への怖さ。今のままでもどうにか我慢できるのに、わざわざ診療を受けて「あなたはパニック障害です」「あなたはうつです」「あなたは不安神経症です」などと、病名をつけられたくない、という人が多いのではないでしょうか。
その気持ちは、私もよく分かります。初めて行った心療内科で、医師に自分の症状や考えていることなどを告げた後で、「パニック障害ですね」と言われ、病名をさらさらとカルテに書かれた時は、やはりショックでした。「さっき私が言ったことは、全部でっち上げなんです! どうか取り消してください!」と言いたい衝動と、どれだけ戦ったことか。
原因が明らかな怪我やウイルス性の病気と違い、心療内科ではたいてい自己申告をベースに病名が決められます。その過程で、自分が医師に対して発する言葉の重さに突然気づき、恥ずかしさや罪悪感で、いても立ってもいられなくなる…。これは、相当肝の据わった人でなければ、誰もが感じることだと思います。
ちなみにパニック障害とは、突然激しい動悸が起きて呼吸困難になったり、心臓発作に似た感覚に襲われたりする「パニック発作」を体験し、また起こるのではないかという不安(予期不安)をはじめとする精神的な辛さが、生活するうえで障害になった状態を指します。この症状の経験者でよく知られている芸能人には、スポーツコメンテイターの長嶋一茂さん、KinKi Kidsの堂本剛さん、女優の高木美保さん、メイクアップアーティストのIKKOさんがいます。
「病気が知られる」ことが怖くて、医者にかかれない
会社勤めの人たちやその家族の方には、「自分が病気であることが、加入している健保組合に知られる」という抵抗感もあるように思えます。
今は保険証の多くがカード型に切り替わっていますが、保険証が紙だった時代には、医者にかかるたびに医療機関のゴム印が押されていました。つまり専門家にかかれば、その「証し」が保険証に記載されてしまうのです。保険証は、身分証明としても提示する機会の多いものです。ゴム印を人に見られるのを恐れて、心療内科にかかるのを躊躇した人も多かったのではないでしょうか。
そして、保険証がカード型になっても逃れようのないのが、毎月の医療機関利用明細。これにもドキッとさせられます。家族に内緒で専門家に通うということが、極めて困難になります。特にビジネスパーソンの夫が、専業主婦である妻に「心療内科に行こうかと思う」などと打ち明けた日には、過敏に対応されるのではないかといった不安があるでしょう。
こうして人に話せず、診療してもらうのを避けていると、症状が悪化するまで放置する原因になりかねません。こういう人々が我慢に我慢を重ねてしまい、医師にかからなかったばかりに最悪の結果にならないように、社会的なメカニズムの導入が進むことを期待せざるを得ません。
プロのカウンセラーに、対等な関係で相談すべき
2つ目の発見は、心療内科に関する悩みに関しては、専門家でない友人や家族に相談してアドバイスしてもらうには、限界があるということです。勇気を振り絞って話をしても、私がサンフランシスコで友だちにしたのと同じように、いい加減な助言しかできない恐れがあるからです。これは、自分にとっても相手にとっても不幸なことです。相談を通じて彼らに過剰に依存したり、逆に関係を悪化させることは、自ら問題を複雑にさせるだけなのです。
3つ目の発見は、カウンセラー(ここから精神科医、心療内科医、臨床心理士などの専門家をカウンセラーと呼ぶことにします)と自分は、フェアな関係であるべきだということです。
私は複数のカウンセラーによるカウンセリングを通じ、良い経験と悪い経験の両方を経験しました。そこで悟ったのは、たとえ専門家であっても、自分と「ベストマッチ」と言える相手にはなかなか巡り合えないということです。例えば、“カリスマスタイリスト”に髪を切ってもらっても、100%納得できるヘアスタイルにしてもらうのは容易ではない、というのに似ています。
だからこそ、患者とカウンセラーとは何でも言える関係でなければならないと思います。状況を改善させるために通院するのですから、それがストレスになるようでは元も子もありません。症状のこと、薬のこと、カウンセラーのアドバイスに対する自分の意見など、何でもフェアに話せる勇気が、患者には必要だと思います。カウンセラーはそれが仕事であって、私たちは対価を払っているのですから。
姜尚中さんのベストセラー『悩む力』の要約に、こうあります。「自己肯定もできず、楽観的にもなれず、スピリチュアルな世界に逃げ込めない人たちは、どう生きれば良いのだろうか?」。
姜さんはこの本で「とことん悩む」ことを提言されています。悩みの上にたどり着くのは、あっけらかんとした開き直りであってほしいと思います。しかし悩んで悩み疲れたら、また悩むのが怖くなったら、カウンセリングを打開策の1つに加えてほしいのです。そういった意味で、私の「カミングアウト」が一助になれば幸いです。