新しいマーケットモデル

ディーラーにとっては「表だったら俺の勝ち、裏だったらあんたの負け」だと。
普通だったら表で勝ちで裏で負けなんですけど、「表なら俺が儲かって、裏だったらあんたが損をする、俺は関係ない。これが金融のゲームだ」。他人のカネを扱って、負けても責任がない状態はこんなものらしい。どんどんリスクを取りに行ってしまう。リスクをとらないと負ける。

アングロサクソンのモデルはもうだめなのかどうか。特に金融においてですけれども、たぶん、しばらくだめですね。シティーとニューヨークの地盤はかなり低下すると思います。これは収益力が落ちるという意味でもあるし、金融のアクティビティーが落ちるという意味でもあるし、金融史的にいうと、この2大国際金融都市の地位は、大きく変わるという直感がしますね。

現状のスキームで買収を繰り返して大きくなっていって、気がついたらアメリカの金融機関は超大型が5つしかなくて、そこで何かが起きたら「助けなきゃいけない」と言っても、規模がでかすぎて、アメリカの財政がもう持たない、ということになりかねないような気がしてね。
EUによる、米国からの金融覇権の剥奪ですよ。イギリスからアメリカに行ったのを、今度はEU、ユーロ圏が取り戻すと。イギリスじゃなくてね。
 ドイツ、フランスがどこまでできるか分かりませんけれども、ある意味での社会主義的な金融モデルというのが出てくる可能性があるんじゃないでしょうか。社会民主主義型の伝統を持つヨーロッパ型が揺り戻しで主役になる可能性。

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あるサイトでこんな風な記事があった。社会主義型、修正型、社会民主主義型金融モデルというのは、うまくいくならいいだろうとは思うが、たぶん、蹂躙されるだろう。そんな幼いナイーヴなことをいっていて、金も知恵もある奴らを押さえ込めるとは思えない。
しかしとりあえずは、できる範囲で、マーケットの仕組みを訂正することだろう。リスクの範囲を制限したい。
破綻した場合も、他人に迷惑をかけることなく、破綻して欲しい。難しいが。
現在のように、俺が破綻したら大変なことになるぞと恐喝しつつ金を引き出すのはよくない。

際限なく儲けたいと考える人間がいる限り、どこまでも地獄は続く。
インセンティブにもほどほどというものがある。

金融のプロはぎりぎりのところをついてくる。
法律のプロはぎりぎりのところをついてくる。
スポーツのプロはぎりぎりのところをついてくる。
経営のプロも同じ。利益と法律のぎりぎりの隙間を狙うようだ。
あるいは倫理と法律のぎりぎり、人間と悪魔のぎりぎり。
こんな人たちは業界が違うだけで考えは同じだ。
おかしなものだが、このような人たちのおかげで世界中が大変になるのが困ったことなのだ。
世界経済を人質に取られているようなもので、大変よくない。

家族は、もうやめなさいと一言でも言ってあげられないのだろうか。
そんなことをして稼いだお金で養われる家族の立場というものは
居心地のいいものだろうか。

悪徳弁護士の妻も悪徳なのだろうか?不思議な思いがする。一人くらいは普通の人がいそうな気がする。