財布でもノートでも携帯でも
自分にぴったりのものを「見つける」ということは
どういうことなのか
もともと「自分」というものがくっきりとあって、
目の前の財布や携帯がぴったりかどうか分かるという説。
もともと「自分」はあいまいで、
現実の何かに出会ったとき初めて、
これが私にぴったりの携帯だと分かるという説。
たぶん後者だろう。
前者ならば、もっと厳密に探せるはずで、条件がはっきりするはずだ。
多分そうではなくて、出会ってみて初めて、脳の回路が興奮するのだ。
異性に関してもおそらくそうで、
はじめから「自分」というものがくっきりとあって「他人」と出会うのではなく、
出会って初めて、脳が興奮するかどうかが分かるのだろうと思う。
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商品に出会って初めて「自分」を発見する。
これが消費社会の自己発見である。
探検して自分の限界に挑み、そこで自己発見する人は少ない。
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現代人は子どもの頃から恋愛を夢とか理想とかのかたちで刷り込まれていて、
その点では異性に関しての条件設定は厳しくなっている。
逆に言えば、それに釣り合う自分ということで、自己愛は肥大している。
反対にグルメ番組では出てくるものが何でも「おいしい」く、
コマーシャルではマクドナルドがおいしいことになっているので、
ほぼ何でも食べることになっている。
この点では妥協の幅が広い。
職業選択に関しては、やはり厳しく、これも自己愛の肥大と関係がある。
私らしく働けないとかの理由で退職する。
配偶者選択と職業選択で延長気味なのは、自己愛肥大の結果であり、
つまりは微少ながら誇大感があるのだろう。
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白雪姫で
「鏡よ鏡。世界で一番美しいのはだあれ?」と
鏡に語りかけている。
鏡がゆがんでいるのか、
見る脳がゆがんでいるのか、
よく分からない。
美しさを比較して判定してくれるのもすごいし、
その判定を受け入れるのもすごい。
それはそうとして、鏡というものがどのように機能しているのか、不思議が多い。
鏡を見て「現実の等身大の自分」を見ている人は少ない。
なぜか少し脚色して見ているのだと思う。
逃れられない自己愛の病である。
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試着室の鏡は
実際に「痩せて見える」鏡を置いているショップはあります。
また、そうでない所もあります。見分けるには、鏡の四隅をよく見ると
わかるそうですよ。痩せて見える鏡は、加工の関係で四隅が
歪んで見えるのだそうです。
逆にスポーツジムなんかの鏡だと、大きく見える鏡を使っているせいか、太って見えるものもあります。
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とのこと。