イチローと統計学

イチローのWBC監督についての発言が取り上げられて
ニュースで流れていた
イチローはたしかにMLBですでに伝説の選手で、
文句なしの宝物であるが、
彼のようにずっと成功し続けている人間の精神構造というのも、
かなり興味深い。

人間は深刻な失敗からこそたくさんの大切なことを学ぶのだとよく言われる。

イチローは彼なりに多くのことを学び、極めているはずだけれど、
それは他の人とは違う極めである。
特殊な成功ケースなのであるが、彼の何が成功したのかについては、
きちんとした分析処理ができているわけではない。
なぜなら、正しさを確証するには比較対照試験が必要であり、
イチローの打撃が極度に不振だった時期とか、
特に苦手なピッチャーとか、そのようなケースと比較する必要がある。
イチローはそのような極度の不振も極度の苦手もないはずで、
だとすれば、彼自身、何が本当によかったのか、要因分析はできないはずである。

自分なりに考えていることはあると思うが、
それは確かさを確かめられない種類のものだ。
良くある例はジンクスとか整体師のアドバイスを受けるとか、そんな例。
イチローはそんなタイプではないと思う。
多分、独自の精神コントロールをしているし、身体トレーニングをしている。
それが本当に必要なのか、どれがどのくらいの要因で寄与しているのか、
かれは一回限りの成功の連続例なので、分析は難しいのである。

たとえばの話、土井さんがイチローを潰しかけたという話にしても、
それがイチローに大切なことを教えたのでというストーリーにもできる。
イチローが否定しても、無意識のストーリーにできる。
だから、イチローの現在の成功物語の一幕に、土井さんの指導を挙げたって、
間違いではないのだ。

そんなにも特殊な人生を歩む人が、
自分の考えの何が正しくて何が正しくないのか、
原因と結果と自分が考えているものの中で正しい因果関係は何か、
それはかなり難しい話だ。

通常ならば、似たケースを集めて、統計的に処理をして、
イチローの個人的な事情を統計的に消去して、
普遍的な部分を抽出できる。

たとえば、すべての人が、土井さんに潰されかけたあと十年は活躍したというデータがあれば、
土井さんは潰すと見せかけて、十年の基礎を作り上げたと結論できないわけでもない。
反抗心とか自分を信じる心を植え付けたとか
そのような方向で評価することもできるかもしれない。

しかしイチローほどの成功はただ一つであって、統計処理を拒むのである。
だから、イチローは、何が正しいか、自分でも分からないはずだ。
自分の場合はこうしたらこうなったと分かるだけで、
イチローほどの人ならばそうしなくても成功したかもしれず
そのあたりは曖昧になる。

これは指導者になるときに特にハンディキャップになる。
何が正しいか分からないのだから、どう指導していいか分かるはずがない。
つきあわされる方はたまらない。
彼には統計学がない。

科学的な因果関係で追って行くにしても
科学的因果関係で追跡できる以上の微妙な感覚の問題と感じられているのではないか。

そのような意味でも、奇跡的な存在である。
彼は自分の成功の真の理由を知らない。
すべての偶然が良い方向に作用したとしかいいようがない。

しかし彼は例外だけれど、歴史の中で必然的に生まれる例外であって、
その意味でもイチローはイチロー自身を超えている。

たとえば、ギャンブルで100回勝負するとして、100回勝つ人がいつか必ずいるのだ。
そのようなこともいつかは起こるという意味では必然なのである。
いつか誰かに起こること。それが今回はイチローだったというにすぎない。