とても普通の心配としては、
将来地球に人があふれてしまったらどうなるだろうかというものがある。
当然のことで、食料も足りなくなるし、燃料も足りなくなる。
危機感をあおり一儲けするには
このあたりの純真な心配を利用すればいいというわけで
今回の原油や食料の騒ぎもそのようだった。
現実の世界は人口として一人と数えられていても、
とても貧しい環境で貧しく暮らしている人が大半で
世界が百人だったらとかで紹介されている。
人口爆発に対策を政治的に直接とったのが中国で
一人っ子政策である。
実際に一人っ子である家族もあるし
それを守っていない人たちもいるようだ。
しかしいずれにしても、
戦争、殺人、殺戮で人を減らすのではなく、
法律で減らそうとした。
先進諸国は不思議なことにと言うか幸運なことにと言うか
女性の社会進出と同時に出生率が減少し
これから先は人口爆発は心配しなくてもいいらしい。
逆に考えれば、これまでは女性が我慢してきて
人口を維持してきたのだとも言えるようだ。
また、それが本当の女性の幸せだと考える人もいて、
それはそれで納得できるのだが。
自分も親に育てられだのだから
そのことが親の人生を抑圧して犠牲にしたとは考えたくないから
子どもを育てることは人生最高の喜びだといわれれば
そうかなと思いたいが
実際に産まない権利もあると言われて
産まない人が増えてみると
なんだか複雑な気分ではある
昔の英文学関係のエッセイで記憶がある。
人口が増えると食料はじめ資源の取り合いになり、
戦争が起きて、人口と資源の釣り合いが回復する。
戦争直後は戦争への反省が語られ、
みんな身にしみるのだが、
時間がたって世代が変わると、
反省は忘れられ戦争への圧力が高まる
しかしその仕組みは先進国同士では兵器が進歩したことと
市民を巻き込まずに済む適当な場所を戦場として選定できないことなどから
難しくなり、
飛行機もレーダーも戦艦もできたことで、
先進国が時々戦争をするとしても、
自国ではなく、遠くでのこととなるはずと書かれていた。
世代が変われば記憶が薄れるとは
確かにそのようだと長い間思ってきた。
昔は人口が過剰になると生産力が追いつかないので
都市に第二子以降が流れ込み
貧困と不衛生の中で流行病で死んでいくとの公式があった。
現代日本ではそれらの予想以外の事態であり、
老齢者の割合がいびつに高い社会となりつつあり、
どう対策したらよいのか、誰も本当のことを言い出せないでいる。
権利を主張できない胎児が流されるのと同じように
権利を主張できない状態になった高齢者が「流される」ことのないようにと祈るばかりだ
アメリカでは中絶反対のキリスト教的倫理がかなりの力を持っている。
日本の仏教はそのような意見ではない様子だ。
これも不思議なことで宗教もある程度は現実追認なのだと分かる。
むしろ、
望まれない子どもは生まれてきても不幸ではないかと言われたりする。