文化の多様性

文化には多様性があって当然である
距離が離れれば、自ずと風俗も習慣も思考も価値観も異なったものになる。

しかし現代は情報化時代であり、大量輸送時代であり、
世界中と商業的にも文化的にも交流する時代である。

どこまで世界は一体になるのか。
地域文化はどの程度生き残るのか、それが問題になる。

ピジン言語の可能性について一時言われた。
日本ではひっきりなしにテレビで東京言葉を流し、
飛行機と新幹線で人々を交流させ続けている。
それなのに、日本国内で、言葉の収斂は起こっていない。
不思議なことだ。

おそらく言葉は親から伝えられるものであり、
その後は、強力なオーラを放つ人物が、その個人の影響を及ぼすことのできる範囲で、
次世代に影響を与えるのではないか。

テレビの言葉をまねしている程度のものは、
オーラではない。
画面から感じられるのは、オーラのひからびた影である。

人から人に直接伝えられる何かがあるので、
文化の範囲は広くはならない。

文明は技術の問題だから、それは広範に広まることになるだろう。

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たとえば、男が女を愛したとして、自分の言葉を話させるのか、
自分が女の言葉を話すのか、
そのあたりも問題である。

学校の先生は文句なしに大きな影響を与える。