ネットで生きている部分的空想的全能感

ネットで生きている部分的空想的全能感
というものを感じる
全体的全能感になればむしろ病気で躁病
現実的全能感を求めればそれも無理で病気になるくらいしか方法はない
ネットを舞台にしてならば部分的空想的全能感も保持できる

部分的空想的全能感は幼年期に少子化核家族化の中で養われるもので
母親という培養器から
ネットという培養器に
バトンタッチされる。

小説、短歌、ロック、クラシック、洋画、日本画、マンガ、映画、脚本、声優などと分化していけば、
現実というものが次第に着陸点を指し示してくれるのだろうが、
いつまでもモラトリアムのままで維持される。
いいことでもあり悪いことでもある。
そこから抜けたいと思ったら自由に抜けられて、
一時的に閉じこもりたいと思ったら自由に閉じこもることができる、
そのような自由さがあればいいと思うが。