同調圧力が存在することは
空気を読めという言葉からも分かる
公共マナーのいくつかは
気持ちは分かるが、あまり実質的な根拠がないと思われるものもある
よく知らないが韓国の電車内では携帯電話は自由だと聞いたこともある。
そういえばそうかもしれない。
心臓ペースメーカーのことは韓国ではもう解決されているのだろうか。
電車内でキオスクみたいな物品を売り歩く人もいるとのことで、
それもなるほどと思う。
電車の中では携帯はやめなさいというのは
どうなんだろう。
移動中だから必要なのだということは分かる。
しかししばらく聞いていてあまりにも不必要な話だったら
周囲の人は頭に来るらしい。どうしてかな。
電車内で携帯でメールを閲覧したり発信したりゲームをしたりそんなことは平気らしい。
音楽を聴いてもビデオを見ても、読書をしても平気。
電車での化粧も携帯の会話と似ている。周りの人が怒る必要はない。
電車で床に座っている人は褒められたことではないけれど、
べつにそれを見かけた人が被害を感じることもでもない。
電車での携帯も化粧も本人が恥ずかしいだけで、
周りの人は実際にはあまり迷惑ではないのではないかと思う。
うるさいのは確かにうるさいけれど。
自分の子どもにはさせないというのは確実で、
だからよその人であっても、しつけをしなさいという気持ちも分からないでもない。
他人の前で何をするか、世間の前でどう振る舞うかというのは、
社会の一員として大切だし、しつけの一部だとも思う。
電車の中でたばこを吸う人がいなくなってよかったと思う。
タクシーでならみんな携帯電話を使っている。
映画館ではいけないことくらいは分かる。
そういえば、
コンサート会場や講演会会場でもいけないことくらいは分かって欲しいと思い出した。
この辺は公共マナーの持つ同調圧力なのだろうと思う。
駅構内のどのあたりを歩くかということも同調圧力がかかっているし
かかって欲しい
旅行者が多いとさっさと歩けないので困る
道をふさがないでゆっくりレーンを歩いて欲しいものだと思う
エスカレーターの乗り方とかも
しかし旅行者は仕方がないか
エレベーターに、途中で乗ってきて一階だけ移動してすぐに降りるなんていう人も
すこし同調圧力を感じて欲しいものだ
やはりよく考えてみると、
きちんと議論して理由が論理的に明快に言えて、
翻訳可能で、共有可能な場合に、
同調圧力となってもいいもので、
それ以外は問題があるのだろうと思う。
同調圧力を論理的納得に変えていかなければならないのだろう。
特に国際化するとそうなるだろう。