分を超えた理想を求める

現代は分をわきまえてほどほどの妥協をすれば
さして苦労もなく摩擦もなく生きられる。

理想を求めて頑固になったりするととてつもなく消耗する。
すんなりとレールに乗っている人生だけが安全である。
苦労が最小になる。
苦労してレール以外の人生を歩くよりも、
レールの上で何とか満足しておもしろおかしく生きる方法を考えた方が賢いことになる。

分を超えた理想は軽蔑される。
学生であればおかしな宗教にでも入っているか、
一昔前ならば政治運動にかぶれているかと思われただろう。

主に困るのは女子学生で、
高校生の頃までは女性も立派に職業をといっていたはずが、
女子大を卒業する頃は、周囲はすっかり、結婚用の女性になっている。
高校までと同じ感覚でいた女子学生は、はしごを外された、裏切られたと思う。

分をわきまえよと
突然訳の分からない儒学的な言葉が出てくる。

他人の分を侵さず、
既得権益者の分を侵略せず、
自分に割り当てられたものをありがたくいただいていれば摩擦は起こらない。

分をわきまえるのが大人である。
表面的にではあっても。

それはやはり他人を尊重し人との距離をとり他人の領域を侵さない生き方である。

これは野蛮な自己愛ではなく、
他人の自己愛を恐怖し遠慮する自己愛である。