グリーンスパンの「波乱の時代」

グリーンスパンの「波乱の時代」の特別版2008年の8-9月。

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サブプライムモーゲージが原因になっていなければ、他の金融商品か市場で問題が発生し、原因になったのは間違いない。世界的にリスクが割安に振れ過ぎていたのが基本的な問題である。

ある金融機関は「大きすぎてつぶせない」という見方が一般的になれば、その機関は経営困難に陥っても政府の支援が得られると予想されるようになって、本来の信用力だけで判断された場合よりも低い金利で資金を調達できるようになる。

銀行はリスク管理制度を確立していて、一般に、あらゆる事態に耐えられるだけの資本を保有するようにしているが、100年に一回か2回しか起こらないような事態は例外としいる。そうした事態が起こった場合、その影響を封じ込める役割は中央銀行が担うことになる。
それに変わる方法は、商業銀行がはるかに大きな資本をいつも用意しておくことしかない。銀行はこの方法をとることに強く抵抗する。100年に一度の事態が起これば、破綻するリスクをとることを好んでいるようだ。

また、規制を強化することで金融市場が改善しうるとする見方にも、私は懐疑的である。とくに、FRBの役割を拡大し、市場の安定をはかる規制を行うようにし、そのために不均衡やバブルの芽を摘む幅広い権限を与えるという考え方には賛成できない。そのような任務は達成不可能だ。
政策担当者が金融ショックや経済ショック、あるいは経済的不均衡の結果を予想するよう、どれほど期待しても、実際には信頼性のある予想は不可能なのだ。

世界市場の自立的な調整に任される傾向が強まってきたからだ。この変化はおそらく、避けがたいものである。世界経済はとてつもなく複雑になり、ひとりの個人やひとつの集団では、どのように機能しているかを完全に理解することができなくなっているからだ。世界経済が機能していることは、事実をみれば明らかである。

例外は危機の時期であり、これは人間の弱点によって発生する。私の知る限り、どのような規制制度も、保護主義も、根拠なき熱狂や、市場と経済に打撃を与える恐怖心を安定した経済成長に変えることはできない。
経済を中央計画当局のもとで組織化し、高度な知識をもつエリートが運営することで、競争市場よりもすぐれた解決が図れると考えた人たちは、過去1世紀のに繰り返し失敗していきている。
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グリーンスパンをスケープゴートにしたメディア攻撃が盛んだ。しかし、政府(FRB、財務省)にできること、政府の法的役割、ミッションというのをほとんどの人は全く知らないはずだ。
政府は何でもやれるし、またやる権限があるとでも思っているのだろう。
しかし、「合衆国憲法のどこかに、政府は私たちのお金に関する問題を解決しなければならないとでも書いてあるのだろうか。」そんな役割も権限も能力も政府にはないし、またあってはならないのである。