現実環境に不適応になって
自我機能が退行するのか、
はじめから未熟な人格だから
現実適応が困難になるのか、
見極めはかなり長い時間をつきあわないと分からない。
しかし要するにある程度未熟な人間が目の前で話しをしていることには変わりはない。
また、付き添いで家族や友人が来ることがあるのだが、
同様に疲れているのか、自我機能はやはり低水準であり、
時にはご本人よりも見当外れなことを大声で言うこともある。
未熟な人格になれているはずの我々でも、
やはり近年の総理大臣たちの人格の未熟さには首をかしげたくなる。
原初的な共感性が欠けている。
国民に話しかけて、国民をイメージできない。
実に興味深い症例となる。
人生のかなり晩年になり、あそこまで未熟さを残しているのはなぜなのかと思う。
人間は、才能に恵まれていたり、財産に恵まれていたり、
あるいは若い頃に美貌や体力に恵まれていたりすれば、
傲慢になり、人格の成熟の機会を逸する。
未熟なままで大人になってしまい、そこから先は助言する人もいなくなる。
スポーツ選手や美貌が売り物の人たちは、若い頃がピークで、
しかしそのあとは厳しい人生を送ることになり、そこでなにがしかの成長を強いられる。
若い頃の成長不足を、年とってからの成長で補うことになるが、
たいていは屈辱を伴うもので、人生の勉強をするなら、早期の方がよかったと思ってもいることだろう。
晩年に至っても、未熟さの訂正を要しない人たちもいて、
幸福なのか不幸なのか判定は難しい。
典型は学者や文章家である。若い頃に才能を発揮し、あるいは有力者に取り入って、
権力を築けば、あとは安泰な世界である。
その場合は人格の成熟は関係がない。
世の中はそのあたりをよく見ていて、
そのような未熟な人たちを詐欺に引っかけたり、
あるいはいろいろな形での搾取の対象にする。
そのあたりまで総合して考えれば、この世界も釣り合いがとれている。
政治家の世界は奇妙な具合に幼児性が保存される世界でもある。
そして非常な人格成熟が同居する世界でもある。
幼児的であろうが何であろうが、
とにかく政界を泳ぎ回って総理総裁にまで上り詰めるのだから、
簡単な話ではない。
偶然も作用するだろうが、その人の力量もやはりある。
しかしどんな力量か?
麻生氏にしても安倍氏にしても政治家の家に生まれ
莫大な財産に守られ、閨閥に支えられ、その点では問題はないが、
個人の資質に問題があった。
だから学生時代はそれなのに苦労して結果が得られなかったと伝えられている。
そのことを人生の苦難としてその後の人生に生かしている様子はあまりない。
しかしそれでも語るときにはそれなりの原稿が頭に入っているようで、
その点はたいしたものだと思う。
自分が考えたのでもない言葉を自分が考えたかのように語るのは
実に困難なことで、普通の感覚ならば、恥ずかしい。
しかし長年の習慣で、彼らはそれを恥ずかしいと思わず、
自分ではなるべく何も考えない生活習慣を身につけている。
必死に原稿をなぞっているのであって、
論理の矛盾などは気付いていない。
そこがほほえましいが
普通なら失望されるところを
人柄の故かほほえましくさえうつるのである。
いいことだ。
とげとげしい場面でも、麻生、安倍の両氏ならば、失笑で済ませられる。
これは人徳ではないか。
未熟な人格が未熟なままで総理大臣にまでなり、
未熟さ故に攻撃されながらも、結局なあなあで済まされようとしている。
ここまでの経過を見ていると
この日本で、人格の成熟などは何の意味もないことが分かる。
成熟などしないで楽をして生きた方が
結局恵まれた人生だったということだ。
フリーターをして逃げ回る人生と
政治家の家に生まれて世間の風から逃げ回る人生は結局同じである。
政治家の場合には彼らを利用し搾取しようとする勢力がつきまとう。
先祖も政治家ならば、寄生する勢力も先祖代々である。
長い歴史の中で安定して構造ができあがる。
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こうしてみてくると日本人の場合精神的幼形成熟は必然であったように思われる。
精神的幼形成熟のポイントは、すでに諸氏が指摘しているように
母系社会であり、父性の不在である。ひいては正確な意味での知性と倫理の不在と言ってもいい。
さらには法の不在と言ってもいい。
幼形の自己愛の存在目的はただ自己保存である。
それはまさしく日本的幼形成熟精神の存在目的である。
ただ自己保存のため。
それだけが目的である。
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政治家はネット社会の存在を恐れている。
特にB層の操作によって打撃を被る側は恐れている。
そしてB層とは、自己保存のために機能しているだけの、存在である。
利他的行動に転化することもない。次世代のために生きることもない。
本質的に絶望していて、絶望に道を付けることもできない。
せいぜい戦争をしろと発言して、そのことがまた何重にもマスコミに搾取される。
発言の中心にいながら、女王蜘蛛に食べられるのを待っているだけの存在である。