賢は賢なりに、愚は愚なりに、
一つのことを何十年と継続していけば、
必ずものになるものだ。
別に偉い人になる必要はないではないか。
社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。
その仕事を通じて世のため人のために貢献する。
そういう生き方を考えなければならぬ。
安岡正篤
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わたしもおじさんになったらこのくらいのことはいいたいと思っている。
そのためには自分が何十年か継続していないとうまくないが。
このことを言うためだけにでも
一つのことを意地になって続けようかとも思う。
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賢と愚とを区別して、そのような区別なく、と続けて述べるのは、
どういうものかとも思う。
貧富でもいいし男女でもいいところだが
賢愚としたかったのだろう。
単純に他人の喜ぶ顔が見たいな。
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このような形の自己規定が、昔からある、固いアイデンティティ人間というものだ。
変わらない価値がある。
たぶん、この道以外にはないし、間違いようもない。
しかし中にはひねくれ者もいて、
じゃあ、自分は別の道を行ってみようと思ったりする。
それもいい。
固いアイデンティティ人間に対する固い抵抗である。それはいいのだ。
それも迷いはない。
相手が固ければ迷いはないのだ。
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社会のどこにあっても、
誠実を尽くして生きればいいのだし、
それしかやることはない。
自分の隣人に誠実を尽くす。
賢者はそう教えている。