「マス」メディアは一貫して社会人男性に支えられてきた。男性の人生は「会社」が中心で、終身雇用・年功序列型、給料もポストも右肩上がりだった。郊外の家に住み、カローラから始まり、いつかはクラウン、という消費スタイルが成り立った。マスメディアがマスマーケティングを生み、これをさらに拡大再生産した。
「社会に出て働く男性の柱はたった1本、仕事に尽きる。女性のように美・若さ・文化を求める、そんな男性がいたら、ニッポンのサラリーマン社会において、不真面目で社会人失格ととられかねない」と書き、「男性の生き方には旬もなければ、季節感もない」と男性誌の特徴を指摘している。新聞が、囲碁・将棋のイベントを主催し、文字を拡大し続け、家庭面が添え物のようにあるのは、顧客の求めに応えてきた結果なのだ。新聞・通信社の記者総数は2007年に1万9124人だが、女性はたった2631人しかいない。
しかしながら、主要顧客であるその男性のライフスタイルにも、もうかなり前から変化が生じている。原因はバブル崩壊とその後の失われた10年だ。
正社員の社会人になり定年まで勤めるというルートが消え、働く男性の柱も仕事一筋ではなくなった(多様化せざるを得なかったと言うべきかもしれないが)。周囲を見回しても、子育てや家事に積極的にかかわる人、料理、温泉、エステといった従来であれば女性のものとされてきた「美やおいしさ」を求める男性も増えてきている。
新聞は「高齢化」が著しい。実際にお金を支払っている顧客は、団塊世代以上の男性だ。
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なるほど、そうだろう。将棋や囲碁も大好きそう。