昔のドラマで
電話を匿名でかけてきて何か嫌なことをいって切る場面があった
現在ならば発信者を特定できるのだろう
その場合は発信者が受信者に一対一で言うだけだけれど
ネット社会ではそのような嫌がらせが
他人の目に見える形で行われ
周囲はその悪意に同調してはやしたてることもある
一番最初に卑劣なことをする下品さが賞賛される集団を形成している
人間の本性の一部にそのような部分があることは
何を意味しているのだろう
進化論的に意味があるから
広範な広がりがあるのだろう
下品な燃料を燃やして
上品な作品を作ることもあるのが人間であるが
このような卑劣さはどこに発生源があるのだろう
嫉妬の感情は大きいだろう
集団内の序列を気にする限り
嫉妬は発生する
嫉妬を共有するのはどうしてだろう
共有したもの同士が同時にライバルであるはずだ
もうそんな元気もないということだろうか
自民党の加藤紘一氏についての放火事件は
また違う感情の暴発のようだ
いずれにしても
どの時代にも優しい心で連帯しなければならない
毒を吐く心は連帯の糸が切れていると思う
その人たちも連帯したいから集まるのだけれど
連帯できる人たちではなかったということなのかもしれない