堀田善衞「ゴヤ」(9)

馬それ自体よりもウエリントンの顔の方が馬の顔に似ている。

 堀田氏がこのようにふざけて記すというのも、ゴヤは馬が下手で、堀田氏はここまで何度もその下手さ加減を非難しているからである。晩年、闘牛を描いたものはかなりうまいので、ゴヤが本気にならなかっただけなのだろう。
 それにしても、画家というものが一瞬をとらえる技はすばらしいものだ。人が建物の5階から飛び降りて、地上に激突する直前の、表情や身体の各所の伸び縮みを性格に描くことができて、初めて、デッサンの出来る画家だという説明があった。

 ウエルズレイは、従って、スペインのゲリラを、心底では深く軽蔑しながらも、これを使いこなすなどはお手のものであった。
 この英国人は、まことに英国人らしくつねに冷静かつ沈着な計算家で、勝利にあっても敗北にあっても決して狂喜も絶望もせぬ現実主義者なのである。彼にとっては、徹底して現実が問題なのであって、想像や空想には一切縁がない、必要もなかった。

 彼は何らの幻想ももっていない。冷静な観察と計算、それがすべてである。ちょっとやそっとのことで「血が熱く」なったり、ましてや自分のアタマで釘を打ったりはしないのである。

 ウエリントン像の下に、もう一人の、別の人間の騎馬像があることが分かった。しかもその人間が、ジョセフ・ボナパルトかもしれず、またあのゴドイであるかもしれず、どちらとも決定できないというのである。
 軽蔑には軽蔑を!

  私はむしろそのようでありたいと思う。実務家であることを望む。
  芸術家や、評論家の、底の浅い感激癖にはうんざりなのだ。