加藤周一先生が亡くなったと新聞に出ていた
今年は恩師の先生もなくなり
12月は加藤先生だ
ずっと昔、三井記念病院に実習に行ったときに指導していただいた先生が
卒業名簿でいうと加藤周一先生の隣の席の先生だった
加藤先生とお話をしたのは数回だけだが
こちらは上がっているし
ろくな事は話せなかった
私のことをバカだと思っただろうと思う
フランスにいる人はこんな感じかというようなソフトな感じだった
そういえばしばらくフランスにいた高野良英先生も似た感じだ
高野先生は机の隅にフランス語の聖書を開きっぱなしにしている
時に応じて必要部分を読んでいた
先輩の一人は加藤先生の「羊の歌」について
女をくどく方法を書いている本、
どうしてあんなのがいいといわれるのかまったく分からない
といって、自分は演劇関係の女性とよく歩いていた
きれいな人で言葉の美しいというか語彙に特徴のある女性だった
あの先輩にすればくだらない本なのかもしれない
どうすれば女性を口説けるのか書いているとは私には思えなかったけれど
別の先輩は
昔の医学生も医者も教科書が薄くていい時代だったと言っていた
今の人たちはとにかく教科書は全部理解して
その上赤ひげ的に生きなければならないので難しいんだと語っていた
ハリソンは全部読むようなまじめな人だった
ハリソンの問題集も全部やった
いまは馬券を買って娘たちと賭けて遊んでいるらしい
加藤先生くらいの年代の人は今の人に比べてドイツ語やフランス語が遙かにできる
英語も負けずにできる
年をとっても語学では若い人に負けないところがあって
やはりすばらしいと思うことがたびたびある
教養の基盤というか訓練というか
本の解釈に行き詰まったとき
聞けばたいてい正解またはヒントが得られた
頭がいいとはこういう事なのかと感心する
分からないことは聞けばいい
どこが分からないか分かることが大切なんだ
と言ってくれた
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私は中村元先生と加藤周一先生は直接に話をした人の中で
対照的な人だと思って時々例に挙げる。
私としては中村元的な学問の生き方があこがれで、正しいと思っていた。
今もあこがれている。
卒業論文の原稿がリヤカーで一杯分あったという。
しかし私は中村先生のように一つのことをこつこつと積み上げる人生にはならなかった。
むしろ診察とかカウンセリングは流れていくもので、
記録を残したとしても、それは輪郭に過ぎず、カウンセリング空間の変容を記述するのは
あまりうまくできない。
すぐに次の相談者がいるので考えにふけっているわけにも行かない。
プライバシー保護の問題もある。
中村元的積み重ねは自分の場合はどうすればできるのか
加藤周一先生の死の報に接して改めて考えた。
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ベネチア、高潮で全域冠水 都市機能がまひ
高潮の高さは1986年以来、最高の156センチに達した。
中心部のサンマルコ広場も完全に水没した。多くの商店やレストランが閉まり、
水上バスも運休。旅行者はホテルに閉じ込められ、住民も1階の家具を2階に上げるなど
対応に追われた。
2008.12.1