「よかった探し」のポリアンナは
それはそれで微妙ですよね
どんな?
人間はつらい時には、本当は現実にあるいいところも見えなくなってしまう性質がありますね。
悲劇のまっただ中にいると、
すべてが悲観的に邪悪に見えて、将来もいいことは「ひとつも」ないだろうと思えてしまいます。
オセロが全部黒く見えてしまいます。
でも現実はそうではないと考え直すきっかけになりますね、ポリアンナの話は。
また一方で、ポリアンナは人物に対しても状況に対してもいいところしか見ないですから、
それは悲観的思考とは逆の意味で偏った見方であるということができます。
フロイトが好みそうな
現実的で理性的な見方は
現実の黒の面と白の面をきちんとありのままに見ることだと思います。
なかなかそうはできないですが。
悲観的に考える人は物事に慎重になりますから、大ケガはしないようになります。
それは利点とも言えます。
「よかった探し」をして物事や人物のいい面を評価しながら生きるのは、
心が明るくなって、元気が出て、頑張りがきくようになり、自分に自信も出て来ます。
それはいい点だと思います。
傷ついても、またその事柄の中からいいところを見つけていけばいいわけです。
認知療法の一つの重大な課題は
過度に悲観的思考からの脱出です。
まさにポリアンナの態度が役に立ちます。
*****
しかし一方的にポリアンナであることもまたつらいものです。
元気がないとポリアンナでいることができませんし、
ポリアンナでないと元気でいることはできません。
ポリアンナに対してピカソはどうでしょうか
「いろいろな角度から物事を見て総合している」
それもまた大切な態度です。
たぶんフロイトならば
ポリアンナ的片面を見る思考から
ピカソ的複合的視点を経過して
さらに
平凡で安定した日常的な視点を
提唱すると思います。
ピカソ的複合視線は途中経過としてはとてもすばらしいものですが、
最終的に人間がそれで落ち着くかといえばそうではありません。
いろいろと体験した後に、
やはり伝統的で安定した、共有できる視野を獲得するのがいいと思います。
ポリアンナは陽です
反対を陰のポリアンナと名付けてもいいでしょう
それらを一つの画面に乗せてしまえばピカソです
そして二つをなじませて日常的な風景にしてしまうのがフロイトです
分解していけばピカソが現れ、
さらにその要素としてポリアンナも陰のポリアンナも現れるわけです。
精神分析ですから、分析すれば、そうした風景が現れます。
分析を終えて、最後には総合して、普通の風景に戻るわけです。
精神総合と言ってもよいものです。
ポリアンナ
統合してピカソ ⇒ さらに統合してフロイト
陰のポリアンナ