加賀乙彦「悪魔のささやき」

人間の意識にはきちんとした意識と、そうでない意識があります。ふわふわと漂うように、中心になる意識の周りにいろんな意識がうごめいている。これをわたしは「辺縁意識」と名付けました。心理学で問題にしているのは、人間が注意力を集中した中心の部分だけです。ふわふわしている意識は絶えず移動し、ぼんやりと自分たちを包んでいるものだから、きちんと記述することが不可能です。不可能である以上は、心理学の対象にならない。
その部分はぼんやりしているけれど、実は非常に大事ですね。しばしば辺縁意識が人を動かす原動力になっていく。マインド・コントロールは、中心の意識の外側にあるものを動かしていくのです。長いこと同じ状況で同じことを繰り返すと、辺縁意識がぶわっと燃え上がるようになります。例えば一晩中お祈りをしていると疲労してきて、真ん中の集中力がすっとなくなり、辺縁意識だけになってくる。その瞬間に一種の法悦を覚えるという宗教体験があります。松本智津夫は完全な拘禁反応状態であると診断できた。環境を変えれば解除できる。

裁判では、
異常な人間を正常だと決めつけていると
指摘。

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考えてみれば、人間の生活はある程度拘禁されているのだ。完全な自由はない。毎日の生活はスケジュールに縛られているし、刑務所の壁と同じくらい不自由な日常の人間関係や契約に縛られている。
そんな中で、辛うじて自由を錯覚し、自己の精神の正常を錯覚しているのだ。それだけのことだろうと思う。

わたしの生活も、刑務所ほどではないが、やはり狭いもので、死刑囚ほどではないが、やはり未来のないものだったと思う。
なぜそのような生活に甘んじることができたのか、分からない。誰からも強制されたわけでもないのだ。
進んで自分の精神に視野狭窄を強制していた。
それは、結局、何も見たくないからだったかもしれない。何も感じたくなかったからかもしれない。多分、そのような解釈が正しいだろう。