漆かぶれ アレルギーという本質

新旧で見解の違いはある

わたしから見ると診断とは
たとえばイチョウの葉っぱを見るようなものである
アヒルの足のような形の葉は、春は若い緑で、夏に深い緑になり、秋には黄色く黄葉し、落葉する、
という具合に時間経過とともにひとまとまりのものとしてある
全部イチョウの葉っぱ以外ではありえない

アヒルの足の形をしたこげ茶色の葉っぱは
わたしにはイチョウの葉の、日当たりの悪かった部分の珍しいものに見えるが
最近の医者のディシジョン・ツリーはまず茶色い葉で、
次に形としてはアヒルの足に近いと見えるようだ

たとえ「DSMのdepression」を満たしていても
Schizophrenieの「形」をしていればSchizophrenieである
理屈にも何にもならないが
そうなのだ

典型的なヘベフレニーなら異論はなく
典型的なメランコリー型デプレッションなら異論はない。
紛らわしいものはいくつか想定できる。

ヘベフレニーのプロセスが頓挫して
陰性症状のみが残り
環境に反応して不適応症状を呈している場合、
どういった時間のものさしを当てるか、
どの観点からを強調するかで、
ヘベフレニー
ジンプレックス
適応障害
うつ病
うつ状態
のいずれも当てはまらないでもない

そういったひとまとまりのものを名づけることが診断の本質であるが
社会が変化すればその中に住む人間の精神病理も変化するようだ

漆のないところに漆アレルギーはない
タコを食べない社会ではタコアレルギーはない

しかし学問としてはアレルギーという共通構造を抽出することができる
社会が変化しても変化しない人間の本質みたいなところだ
それを言いあてる言葉が必要なのだが

古い医者は「漆かぶれ」と言っているようなものだ
昔から、山にきのこ狩りに行って漆にかぶれるのだと認識している

新しい医者はアレルギーが根本の病理としてあり、
今回は漆がそのアレルゲンになったのだと考えを進める

それが正しい
そうに違いはない

ただ、「漆かぶれ」というのも、悪くない言い方だと思うのである。

いまどきの若い医者は優秀である
私のような老医師から見れば働いている医師は9割以上が若い人ということになる

ほとんど芸術的にキーボードを叩き
紛らわしい薬品名を間違うこともない

老医師が漆かぶれといったとしても、
翻訳して多めに見て欲しい
ローカルな見方であるがきちんと翻訳すれば間違いではないと思うから