子どもは居候だったと今は思う

古い家は今は貸家になっていて
庭には柿の木があり、ずいぶん大きくなっているという。
子どもの頃どんな柿の木であったのかよく思い出すことができない。
部屋の一つ一つは思い浮かべることができる。
ずいぶんと傷んでいることだろう。
庭の一部は畑にしていて半分は野菜で半分は観賞用の花が植えられていた。
今その一部は駐車場になっているという。
その横には物置小屋があった。

子どもというものは居候であったと今にして思う。
住まわせてもらっていたなという感覚だ。

柿の木についてよく思い出せなのはなんだか情けない。