俵万智の文庫本の解説部分に、
俵さんは恋愛ミーハーだとある。
あとがきに、
自分は30代はずいぶん恋愛体質だったといった意味のことも書いている。
そして40代になって子供もいてずいぶん感じ方も違ってきたと書いている。
理念型で言えば、恋愛至上主義から日常生活主義への変貌ということになる。
シングルマザーの選択は、
結婚できなくても子供が欲しいという、
恋愛至上主義ともいえるし、
邪魔になるくらいなら男は要らないという、
日常生活主義であるとも言えると思う。
どちらともいえるところがおもしろい。
銀色夏生さんは、その後よく知らないが、
一時は子供さんと二人の生活だったと思う。
もうあなたを愛していないと気付くまで、
4年とも7年とも言われる。
気付くのが遅い人は幸いである。
自分の気持ちをモニターしつつ、その気持ちに忠実になるなら、
悪い結果が待っている。
気付かないのがいい。
ロミオとジュリエットは日常生活を経験していないので、
純粋な恋愛至上主義だ。
両家が反目し合い、殺し合いまでして、それでも好きだというのだから、
たいしたものだ。妥協がない。
現実には、両家が仲がよくて、本人同士は冷え切っていて、
それぞれに、社会の許容する範囲で、恋愛至上主義のように振舞う場合が多い。
多分、それが、合計利益が最大になる。
最大多数の最大幸福。神の見えざる手。
これが、日常生活主義に基盤を置き、
時と場所を限って、恋愛至上主義を黙認する、
人類の普遍的な解決策である。
ただしこれは恋愛至上主義ではない。
恋愛至上主義のように振舞うだけである。
それでも結構楽しいらしい。
ベネチアの仮面舞踏会。
平安貴族はそんな典型だったと想像する。
誰も、恋愛のために、地位や収入を犠牲にしたりしない。
日常生活はちゃっかり防衛する。
結婚は親が決める。
一部に自由解放区があり、そこで恋愛ごっこをする。
道具はいろいろあるけれど、ときには専用の歌人を雇ったりもする。
粋だといわれたい。
ちかごろ流行りのあの女からいい返事をもらいたい。
それは、誰にも知られずに、こっそりと成就する恋愛ではつまらないのだ。
おおっぴらに仕掛けて、結果を見せ付ける。
ゲームとしての恋愛至上主義が成立する。
ダルビッシュの予告スライダーのようなものだ。
騎士道もそんなものだろう、知り合いがいないから分からないが。
*****
ロミオとジュリエットでは
一時的に死んで、あとで生き返るという薬を調合する、
まるで精神科医のような神父さんも登場する。
あの場面で、神父さんは恋愛至上主義に肩入れしたわけだ。
あとで神様にうんと叱られるだろう。
神父というものは、恋愛と性欲を最大限に抑制する存在でなければならない。
しかしそのゆえに、恋愛と性欲を最大限に色濃く味付けする存在でもある。
禁止されれば、ローレルの葉っぱをかじってみたくなる。
禁止がなければ、誰も葉っぱなどかじらない。
聖書の一部に傍線を引き、しおりを挟んで恋する人に渡す。
最近の神経伝達物質・レセプター説に従えば、
要するに、若い一時期に恋愛体質になるというだけのことだ。
恋愛体質と性欲主義はまったく違うが、
結果としては子供ができることが多い。
そこで話がまとまれば、あとは社会のルールがすべてを引き受ける。
誰もが子供第一主義になり、男はローンの支払いに縛られ、
女はどの品物はどこのスーパーが安くて高品質かを考え続けて、
人生が終わる。
つまらないわけではない。
それで終わってくれれば平和ないい人生だったといえる。
戦争と極度の貧困と病気から逃れて一生を終えたら、
大変な幸せである。
民法は子供と主婦を守るようにできている。
男はある種の奴隷になる。
社会のルールを無視したがる人も中にはいるが、
社会のルールは、大げさな名前に反することなく、
非常に強力である。
やってみれば分かるが、
あっちもこっちもぼろぼろで、
いいことはひとつもない。
しかしだからこそ、なおさら、恋愛至上主義にならざるを得ない。
妥協してしまえば、
一週遅れのランナーに過ぎない。
友人たちの幸せを追いかけるだけの自分を見るのはつらいものだ。
だんだん極端に走るようになる場合もある。
多分、日本にいない方がいい。
同時に、歳もとるから、大変だ。
年功序列の時代は給料が上がって、少しは極端もできたが、
最近ではそれも難しい。
最近は性欲のピーク時期と、
恋愛体質のピーク時期がますますずれてきていて、
いろいろと煩雑なことが起こる。
女性の場合には、恋愛が仕事のようになる面があり、
それもおもしろい。
仕事で業績をつむことと、
仕事で業績を積む男と結婚することは、
ほぼ等しく、
現代では、むしろ、男に働かせる技術が優越する。
仕事まみれになっていたのでは、
趣味、家事、育児、地域活動、各方面のスーパースターになれない。
海外旅行にいけるのは誰なのか、考えてみればよい。
たまったマイルを使っているのは、誰か。
昼下がりのレストランで食べながら話し込んでいるのは誰か。
過剰なほどの教養をもてあまし、なお学び続けているのは誰か。
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恋愛というものは、教養というよりは、体質である。
度が過ぎると、共依存的になる。
共依存の渦中にいる本人は気がつかない。
恋愛だと確信している。
その幸福の感覚は、実に羨ましいほどである。
たとえば、演歌の中にいる。
私がいなければ生きていけないあの人だから、
今度の浮気も許します、と歌う。
かなり自己愛的でもある。
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恋愛至上主義者は自己愛的な側面もなければならない。
パートナーを理想化し、
自分を理想化し、
恋愛関係を理想化し、
そこでやっと恋愛至上主義が日常生活主義に打ち勝つ。
こうして書いただけでも、いかに困難であるか、知ることができる。
そのエネルギーは、少しの勘違いで生まれるものではない。
ものすごい勘違いをしていないと、生まれないし、続かない。
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美男美女と恋愛至上主義は関係がない。
顔のつくりではなく、脳のつくりの問題である。
マフィアとかそんな系統の価値観を持つ人たちが、
恋愛至上主義に親和性があり、
周囲もそれを容認する。
ほれてるんだから仕方がない、と。
おおむね強い男の身勝手で、
弱い女が拒否することはできないし、ありえない。
強い男は素敵と決まっているのだ。
財産と日常生活主義も関係がない。
財産があれば、わがままになるだけだというのは、いつでも真実だ。
謙抑は生まれない。
家貧しくしてはじめて孝子出ず、である。
財産ではなく、脳のつくりの問題である。
どんなに財産があっても、
使わない人は使わないから、
金の使い方でけんかになる。
結局二つの脳には親和性がなかったということになる。
コンピュータをつないでみたけれど、
だめだったね、という感じ。
それぞれを単体で動かした方がいい。
現代ではそんなことも多い。
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まとまりなく長くなった。
途中で話を挟みこんでいるのでなおさら分かりにくい。
書いているうちに関心も移動する。
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言いたかった最初のことは、
人間は、日常生活主義を基盤にしながらも、
社会制度として、恋愛至上主義ごっこの場面を用意している。
だから、その制度の範囲内で、恋愛ごっこをするのが賢い。
勘違いして、本当の純粋恋愛至上主義に走ったら、
ろくなことにはならない。
社会とは、強力で、恐ろしいものである。
逆らっていいことがあった人はいない。
というようなこと。
それは味気ないなあと思うあなたは、
チャレンジすればいいが、
ぼろぼろになる前にお金がなくなるでしょう。
ぼろぼろになれたら、なかなかたいしたものだ。
そうなったら、焼酎なしのホッピーでも飲もう。