電気ガス水道について採録
2、生活インフラを考える
この章では、地価と並んで日本経済の非効率性のシンボルとしてよく知られている、公共料金の高さについて考えてみる。まずは電気料金、ガス料金、そして水道料金をとりあげよう。
以下に述べるように、水道料金は完全な公営であるため、最悪の状態になっている。しかし、電気・ガスなどは民間会社が供給しているので、それほど悪い状況にはないように思っているかもしれない。しかし、現実の電気・ガス会社は、地域独占を認められているのをいいことに、自分達の高い給料と系列会社の優遇をそのまま価格に転嫁して、消費者を搾取しているのである。
公共選択理論が示しているように、政治的な意思決定には、かならず利権を持つ団体が大きな利益団体としてカゲにヒナタに議会工作をおこなう。その結果、我われは、地域的に独占を保証されたこうした公益会社から、諸外国の倍額を超える料金支払いを余儀なくされてしまうのである。
電気料金
OECDによる各国のエネルギー価格調査によれば、2004年における家庭用電力料金は、日本と比較するとアメリカ45%、フランス72%である。産業用の電力ではより大きな差があるが、ここでは生活インフラについて考えるのでとりあげない。
さて、これは私のアメリカでの生活実感とも符合する。私を含めて、多くの日本人はアメリカの電力料金が日本の2分の1から3分の1くらいであると感じている。
ところが、電力会社のホームページでは、とんでもない主張が一般公開されている。
「当社の電気料金は、主要国の電力会社と比べ、単純に為替レート(2004年1月時点)で比較すると割高に見える場合もありますが、各国の物価水準や所得水準を反映した指標(購買力平価、1時間あたり賃金)で比較すると、おおむねほぼ同等、もしくは割安となっています。」
私は一般的な態度としては、官僚であれ、企業であれ、少なくとも彼らの活動の目的自体の善意を疑うことは少ない。しかし、ここまで露骨な情報操作にはあきれを超えて、明らかな悪意を感じる。誰であれ、外国生活をした人で、このような電力会社の弁明を信じる人はいないことは保証できるからだ。
電力会社の主張はつまり、所得水準の高い日本では、高い平均時給に換算してみれば、電気料金は高くはないというものである。これは、電気がサービス業のように、ほとんど労働力のみによって生産されるのであれば、それなりに納得できるかもしれない。しかし発電するための機材も燃料も国際商品であり、おそらく配電設備の構築やサービスのみが時給と関係している。生産性の高い日本では、電気はそれに比べて割安だというのは、あまりにも消費者をバカにした意味のない主張だろう。
本題に戻って、なぜ日本の電力料金は高いのか。単純な結論でつまらないのだが、地域独占を許された地域会社には、競争が実質的に全く存在しないためである。地域独占企業であるのに、従業員は高級取りで、会社の福利厚生も過剰なほどに存在している。系列企業には入札制度がないか、入札制度があっても公開義務もなく、電力会社からの天下り社員によって割高な受注を受けることができるのである。
つまるところ、電力会社とは、テレビ局と同じように、政府から特別許可を受けた独占者なのだということなのである。
これに比較して、例えば、フランスでは電力会社は国営だが、外部からの監視を厳しくして電気を安く提供している。反面、私企業が電力を供給するアメリカでは、公共事業体として州政府からの外部監査がひじょうに厳しく、従業員の給与から公示の入札まで多くの公的な監視が存在している。
アメリカの企業の研究でさえも、競争がない地域の電力会社では競争がある地域の会社よりも非効率な部分が多いことが知られているのである。いまや古典となった1966年の研究において経済学者レーベンスタインは、それをはっきりしない原因に基づくものとして「X非効率」と名づけた。
競争のない日本の電力会社は、つまり単なる特許会社である。電線を二重に引くのはばかげているように思う人も多いだろう。しかし、新規の参入企業が既存の電力会社とは独自に配電網をつくるようにならなければ、この問題は根本的には解決しないのである。
東京や大阪などでは、多くの私鉄の路線がJRと並行して走っている。純粋に技術的に考えれば、複数の路線が独立してあるよりも、一つにまとめたほうが効率は高まるに違いない。しかし実際の人間の組織とは、独占が許されれば、できるだけ自分達の都合がいいように料金を設定するように、徐々に組織慣習を形成するものなのである。
このため、一見して非効率であっても、電力業界に新規参入がなければならない。新規の参入企業があって、はじめてコストを低減する必要性が、組織レベルで発生するからである。
近い将来に実現するだろうと思われる電力供給の多様性の第一候補は、家庭用燃料電池によって発電しつつ、熱源としても利用するというコ・ジェネレーションである。これは日本でも松下電器やホンダなどの多く企業が参入を試みている。現在の天然ガスを改質して、ガスの供給ラインを使って、熱と電気を各家庭で分散的に発生させるものである。
北欧で実用化されている、この分散型の電気と熱のコ・ジェネレーションでは、熱の使用や電気の使用に応じて、他方もまた生産されることになる。そこであまった電気や熱をローカルなコミュニティで共有することによって、その有効利用を促進できるのである。
現在のところ、コスト的には大きな問題がある。しかし、自動車用の燃料電池の進歩は家庭用にも転用できるので、近いうちに技術的な進歩によって損益分岐点に到達するといわれているのである。いわばこれは、現在のガス会社が電力会社にもなるという競争のあり方だといえるだろう。
あるいは、複数の会社の複数の電圧のコンセントがあれば、消費者は家電製品の購入に際して、当初は小さな混乱を生むかもしれない。しかし日本のように豊かな社会では、電気の供給についても潜在的に多様なニーズがあるはずである。
ある電力会社の電力供給は、安定しているが料金は高く設定されており、また別の電力会社は停電が多くて供給が安定していない代わりに、料金が安いということがあっても、不思議ではない。このような複数の電力会社は、十分に並存するべき理由があるのである。
停電が多かったとしてもかまわないという人が実際にいるだけでなく、一時的な停電があっても電源安定化装置があればすむような場合も多いのである。これは、現在急速に進歩している多様な二次電池やキャパシタによる蓄電技術の改良によって、将来はもっと小さな問題になるはずである。
日本の配電システムは、ひじょうに高度に安定しており、平均的な停電時間も諸外国の3分の一程度と圧倒的に低いことで知られている。そのかわりに2,3倍の高価格で電気が売られているのである。これは過去の通産省(現経済産業省)による公共投資の行政指導の結果である。しかし、電力会社の従業員以外のほとんどの人は、もっと停電してもいいから、半額以下の安い電気を欲しているのではないだろうか。
例えば、私をはじめ多くのネット愛好者はIP電話を使うことが多い。私は特に無料のスカイプがお気に入りだが、スカイプは回線品質が低く、安定性もあまり高くはない。「ぶち切れ」というのもしょっちゅう起こるが、そもそも切れてもかまわない電話のニーズというのは、誰にでもあるだろう。大事な電話は安定した固定電話でかけるが、どうでもいいような要件では無料の不安定なサービスを選好するというのは、おかしな話でもなんでもない。
現在の電力の供給自由化のスキームでは、新規発電事業者は顧客のところまで、地域独占の電力会社の配電網を借りることができるだけである。そして、これでは結局のところ、いろいろな難癖をつけて、発電事業のみの企業は十分に市場に参加することができないままに、価格は高止まりすることになる。
今後は電柱の共有化や新たな電柱の速やかな許可によって、配電網をゼロから構築することすらも許すべきだ。また新規企業だけでなく、水道やガス会社などにも送電網を構築することを許し、実質的な競争を確保しなければならない。でなければ、ヤフーの会社説明によれば、つぶれることのない東京電力の電力会社の社員の平均給与は800万円である。そして、競争がない限り、この800万円は永久に高い電力料金に転嫁され続けるのである。
ガス料金
電気料金と並んで、日本のガス料金もまた極めて割高なことで知られている。
前述のOECDの調査報告から、2004年の家庭用ガス料金を単位熱量あたりで見てみよう。アメリカでは日本の約32%、イギリスは33%、フランスでは43%である。日本のガス料金は、西欧の3倍も高いのだ。
また、経済産業省の「都市ガスなどの内外価格差について」というレポートを見れば、1999年の時点で、上記の国々に加えて韓国との価格差でも3、5倍になっていることがわかる。
これもまた、私の生活感覚と符合している。アメリカではガス料金も低く、一般庶民が生活するために必要となる熱源も安く供給されているのである。なお、ここでも産業用ガス供給では、この差ははるかに小さなものになるが、それでも二倍に近い大きな開きが存在する。日本は、物価が安くて生活がしやすいという生活大国には程遠いのが現状なのだ。
日本の住宅では部屋ごとの個別冷暖房が普通だが、欧米や韓国、中国ではセントラルヒーティングが一般的である。これにはより大きなエネルギー消費を必要とするため、あるいは原理主義的なエコロジストは反対するかもしれない。
しかし、日本ではリビングだけを暖めるため、フロ場やトイレなどに入る際には大きな温度差があり、それが心臓に負荷をかけることになっている。このため、屋内移動による心筋梗塞によって先進国にしては多くの命が奪われているのである。
これは欧米や韓国、中国で暮らした人であれば、誰でも感じていることである。日本ではガス料金が高すぎて、局所暖房が当然になってしまっている。しかし、これは世界の先進国の生活からは大きく劣ったものであり、特に体の弱ってくる高齢者には厳しい住居環境なのである。
韓国から帰ってきた知人が、「韓国から東京に帰ってきたら、風邪を引いたよ。ソウルだと家の中じゃ、Tシャツで過ごせるからね。」といっていた。これは人間がゆったりと生きるという、もっとも大事なことが難しい日本の現状なのだ。
この理由が、日本のガス会社が許可制であり、地域独占であるためだということは間違いない。前述の経産省「都市ガスの内外価格差」レポートには、ガス調達コストは日本でもイギリスでもほとんど同じであることが示されている。アメリカと比較して1、5倍程度、フランスの2倍程度である。
ガス料金の内訳をみると、日本のガス料金の3分の2以上は、運営費や人件費などが占めている。つまりこれは、ガス会社の株主利益や従業員の給与、関連会社の利益などのことである。日本では、ガス会社が地域独占を許可されているため、非効率的であり、さらに高額な請求をしても顧客が逃げる道は、これまた地域独占の電気会社しかない。
これは比較的に競争の存在する産業用のガス価格が、家庭用の半額以下であることにも明らかだろう。結局、建前はどうであれ、ガス会社の地域独占を許している日本国の政府は、低所得の庶民ではなく、ガス会社の利益を守っているのだ。
水道行政では
日本の水道料金はどうなのだろうか。
水道は市町村レベルでの水道局が運営しているため、水道料金は地域によって大きく異なっているが、全世帯の平均的な月間下水道料金はおよそ4000円程度だといわれている。日本人は水を比較的に多く使っている国民だが、支払っている水道料金も世界平均に比べると多いのだ。
東京都の平均的な家庭用上下水道料金は、固定料金プラス1立方メートルあたりおよそ200円である。これに対して世界銀行による1999年の世界の物価調査によれば、アメリカの価格では1ドル120円換算で60円、カナダで49円である。OECD諸国の中では高いといわれるドイツでは217円、イギリス138円、フランス140円程度となる。
日本の水道料金は当然に総じて高いことがわかるだろう。しかし、一般人の生活を優先するということで、日本の水使用料金は家庭用については安く設定されてもいる。東京都では、工場や病院などの大口の需要家の場合にはトンあたり700円の課金となっていますから、もともとの水の価格が高いのである。
その説明としては、ダムなどの過去の先行投資を回収するために、水の料金が高くなるというのであるが、しかし、そもそも必要でもないダムを作ってからその投下費用を回収するという方式のために、水の料金設定が高くなっているのだ。この意味では、今後の人口減少社会で不必要だと批判されているダムを、今後も作り続けるという国土交通省の計画は実に摩訶不思議である。
この点は保屋野初子による『水道がつぶれかかっている』に詳しく報告されている。そのなかの一つには、長良川河口堰の利用がとり上げられている。もはや利水の必要がないと主張する三重県に対して、河口堰の膨大な建設費用の負担を押し付ける水資源開発公団の実態が告発されているのだ。
この点に関しては、猪瀬直樹もまた『日本国の研究』の中で生き生きと詳述している。長くなってしまうが、彼の素晴らしい文章を、まるまる引用させていただこう。
高秀秀信第五代総裁(86~90年)は、三重県の対抗を意識してだろう、以下のように語っている。
「卑近な例として、バスの運行があります。団地の将来計画ははっきりしていますが、とりあえず百軒入ってきた。それでは五百軒になるまでは市営バスを走らせないかということです。何年もかかって団地が形成していくので、そのぶんはその企業会計ではなくて、政策路線としてのバス路線と考えて市が補うというか、私はそうすべきではないかと思います。」
団地がずっと百軒のままなら、どうするのか。三重県の場合、当面、五百軒になる見通しがない、と悲鳴をあげていたのである。高秀発言には、財政負担に押しつぶされる自治体への配慮は感じられない。歴代の水資公団総裁による座談会は、気楽な内輪の会話だからよくホンネが出ている。「想定通り二十年なら二十年先に水需要が発生しなかったらこうしますということは、なかなかこっち側からいいにくい話です」と勝手なことを言っている。
水資公団はスタート時の定員は六百名だったが、現在は二千名、事業費は二千億円(年間)の大所帯に膨らんでいる。二千億円は維持管理費であり、建設費用ではない。長良川河口堰の場合、水資公団は財政投融資からの借り入れで建設費を払う。いったん立て替えるだけで、すでに記したように治水分の四割は建設省が出す。残り六割は三重県と愛知県が負担する(約30%の補助金がつく)。三重県と愛知県は二十三年ローンで水資公団に返済する。水資公団は、自分の腹は痛まないから平気でこんなことがいえるのだ。
高秀元総裁は、日本中を運河にしたいらしい。
中部地方などは豊川と矢作川と木曽川を結ぶべきではないかと思いますし、また、極論をいえば、木曽川水系と琵琶湖を結ぶとか、これは地方の実情、地域的なものがありますから、そう簡単なことではないと思いますが、これからは複数水系でどうやって安定化を図っていくかでしょう」
水資公団の規模が大きくなればなるほど、受益者の事業費負担も増える。結果として長良川河口堰のような固定資産、施設が残る。その維持管理が水資公団の仕事である。施設がどんどん増えれば、公団の人員も増える。事業費も余計にもらえる。
ここには、天下り官僚の身勝手な組織拡大への欲求が、あからさまに表現されている。この現状に怒りを感じない人はまずいないだろう。
また『水道がつぶれかかっている』では、神奈川の宮ケ瀬ダムに一兆円をかけて、水が3トンしか使われていないことも指摘されている。実際、こういった状況は日本ではなんら珍しいものではない。
日本全国いたるところで、まったく不必要な水資源の確保のために財政投融資を通じて、郵便貯金が使われてきた。水道事業が公営であるために、水道価格に上乗せし放題のムダな支出が過大となっているのである。
いまや必要でもない水資源を確保するという名目で、10兆円を超えるムダが累積赤字となっている。なお、現在は水資源機構と改称しているが、もちろん、これは単に看板をかけかえただけのものである。
長良川河口堰は必要もないのに、反対運動を押し切ってつくられた。徳島県の吉野川の河口堰の反対運動にしても、岐阜県の徳山ダムの反対運動にしても、住民の反対を押し切って、政府は水を管理するための施設を建設しようとしている。
それが地方の建設会社の利益になるからなのはいうまでもない。しかし、それもこれも、上下水道は独占的に地方時自体によって供給されているために、その建設費用を、最終的にはすべて消費者に転嫁できるからこそできることなのだ。
現在、シンガポールや香港などの都市国家や、観光都市として大発展中のドバイやバーレーンなどの砂漠の都市では、海水をろ過して真水を作り出している。その費用は1トン当たり60円だが、東京都のダムからの取水価格は1トン当たり180円!なのだ。
もっと詳しくみてみよう。現在もっとも低廉な海水の淡水化法は、日本の東レがつくった逆浸透膜を使ったもので、トンあたり0.707ドル、つまり85円である。興味のある方は、東レのホームページをご覧いただきたい。逆浸透膜というのは、海水に高い圧力をかけて、海水を塩分を通さない特殊な膜を通すことによって、脱塩するというものだ。
この浸透膜はカリブ海の小島であるトリニダード・トバゴで活躍しているということであるが、アラブ首長国連邦をはじめ、世界的に急速に利用されている方法である。これまで離島や砂漠では、真水をえることができなかったが、この方法は海水から真水を作り出せるためである。
2007年6月1日の日本経済新聞の記事にも、東レの逆浸透膜では1トン60円で真水が作られること、この費用が過去10年に半減したこと、下水を浄水すれば、30円かかること、河川水の場合では25円であること、などが記されている。
なお、発電所などからの廃熱で海水を温めることによって、この費用はトンあたり50円程度にまで下がるという。現行の方法でも価格差はすでにトンあたり120円にもなるが、この差は将来の科学技術の進歩によって、ますます大きくなっていくだろうことは明らかである。
いつの日にか、1トン20円、あるいは10円で真水が作れるようになれば、もう少しマスコミも、あるいは多くの人びとも、日本の水道行政のもつ非効率を認識し始めるかもしれない。しかし残念ながら、それでも東京湾から10円で真水が作られることはないだろう。政治システムのゆがみのために、永遠に東京都民にはダムから取水した水が200円で供給され続ける制度が確立しているからである。
フランスでは、水道会社は民間会社であり、今やひじょうに高い競争力を持っている。また、実際にドバイやパーレーンなどで水供給システムのプラントを建設しているのは、伊藤忠や三菱商事などの日本の商社である。
例えば、丸紅は3600億円をかけて、アラブ首長国連邦で発電と海水の淡水化事業のプラントを作っている。このプラントは巨大なもので、10施設もあれば、関東地方全体の発電と給水ができる規模のものである。
いまや、こういったノウハウを利用して純然たる民営の水道会社ができるべきなのである。東京湾や大阪湾、伊勢湾の海水から真水を作り出したほうがはるかに安い水を供給できるのだ。東京の水はまずくて有名である。あるいは、民間会社のほうがおいしくて塩素臭の少ない水を供給するだろう。自由な競争がなければ、それが可能であるのかどうか、人びとがそれをどのくらい望んでいるのかもわからないのである。
また、日本の水道業界はJIS規格に守られているため、上水道の水圧も低く、シャワーも快適には浴びられないような有様である。電線と同じように、複数の水圧の上水道網でさえも、存在理由があるだろう。
中国ではヨーロッパの水道会社にインフラの整備をまかせている。例えば、四川省の成都では、フランスのビベンディと丸紅の合弁会社が上下水道事業をおこなっている。そもそも水道事業が、市町村という非効率的な区分けに従った公営事業である必要性など、効率性を考えればどこにもない。
もろろん、過去のダム建設行政のツケは償却するという形で認めざるを得ない。しかしそれはそれとして認めるべきであり、今後もダムを作り続け、自然を破壊し続けながら、我われの社会をより貧しくしてゆく必要などどこにもない。
現在のドバイは海水の真水化技術の低廉化によって、800メートルを超える世界最高のビルに象徴されるように、中東経済の中心都市としての大発展を遂げつつある。各国の中でも降雨量の多い日本の水道料金が、砂漠の真ん中に位置する高層都市のドバイよりも、あるいは島国のトリニダード・トバゴよりも高いというのは奇妙だ。
これはつまり、建設会社と水道局などの役所の利権優先で走ってきた日本社会の持つ、にわかには信じがたいバカげた矛盾の発露なのだ。
光熱水費を総合すると
さて2000年の総務省の家計調査年報によれば、1世帯平均の電力料金は9555円、ガス料金は都市ガスとプロパンガスを含んでの平均で5920円、上下水道料金は6002円である。これらを合計してみると、月に2万1477円で、年間25万7724円になる。
これが仮に半額であれば、たいへんに生活がしやすいのではないだろうか。家計の所得が下がれば下がるほど、光熱水費の支出割合は増えるはずである。後述するように農業保護もやめて、食費も含めて半額で生きることができれば、マクドナルドで働く月収10万円台のフリーターにとっても、日本ははるかに暮らしやすい国になるだろう。
年金生活者や生活保護の受給者にとっては、光熱水費と食料が半額であるというのは、生活のクオリティがまったく違ってくるほどであろう。実際、アメリカでは日本と同じ所得が得られるのであれば、たいへん優雅に生きることができる。ほとんどすべての生活必需品の価格が半額以下だからである。
私がカリフォルニアにいたころ、日本の大学から一年のサバティカル(学術休暇)をもらって、サン・ディエゴに研究のために家族で滞在していた方と知り合った。私は、そのお宅に高校生の子どもの家庭教師として、週に一度ずつうかがっていた。
そこで、その方の奥さんの言葉が印象に残った。「日本では、生活するための費用がすごく高かったけど、ここでは3分の1ぐらいですね。ほんとうに助かるし、生活がゆったりとしていてすみやすいところだわ」としきりにおっしゃっていたのである。
私は、大学院生であり、限界的に貧しい生活をしていたので、そのことに気づかなかったが、たしかにアメリカの生活に文句をいう日本人はほとんどいなかったと思う。もちろん、アメリカ人の日本人やアジア人に対する待遇に文句をいっている人や、犯罪の危険性について危惧しているはいたが、物質的な生活が豊かであることは誰にも否定できない事実であった。
上述の、電気、ガス、水道のどれをとっても、まったく異なった供給者が行っている。ある特定分野では、日本のほうが、アメリカやイギリスよりも、あるいは少なくとも旧大陸にあるフランスよりも安いものもあっていいはずだ。しかし、現実にはそうはなっていない。
この原因が詳細にどこにあるのかは、私のような素人には簡単に診断できることではない。しかし、すべての活動を完全に民営化して、競争にさらすことが必要であることだけは間違いないだろう。
NTTと第二電電などによる通信料金の高止まりを打ち破ったのは、ヤフーを日本に導入して既得権益を完全に否定した孫正義であった。彼はそれまでの通信会社のおよそ半額でADSLサービスを提供することによって、今ではソフトバンク・モバイルまでを買収によって獲得し、巨大な通信企業集団を作り上げたのである。
日本でも、フランスの水会社のビベンディやイギリスのデムズ・ウォーターのような外資企業が、東京に新しい水道網を作り直す必要があるだろう。あるいは、新しいガス管をゼロベースから引きなおして、異なった熱量のガスを供給する企業が必要なのだ。
それくらいのことを許さなければ、永遠にダムは作られ続け、自然は破壊され、その建設費用は水道料金の上昇に転嫁され続けられるだろう。そして時給で生きなければならない庶民の生活は、独占を許された公営企業に搾取され続けて永遠に苦しいままだろう。