自己中心性を前提に制度を組み立てる

上に立つものは普通以上の倫理性が必要だとか
特権が認められている分利他的に行動しなさいとか
儒教的建前としてはいわれていても
誰も実行しない期待に寄りかかってしても仕方がないだろう

人間というものは利己的に行動するものなのだということを徹底的に前提として
制度を組み立てるしかないのかもしれないのだ

そのような制度を作りたがらないのは
既得権益を手放したくないからか
少しでもましな制度を考えつかないからか
決定は次の世代に回したくて自分はとにかく現状維持だと考えているか

そう考えると
制度を変えようという議論自体が
非常に利己的な動機を含むと見なければならず
制度の議論の仕方そのものが非常に利己的な利益誘導なのだということになり見ていられない