恵比寿 東京都写真美術館

今日は3階、2階、地下1階と歩く。

○コラージュとモンタージュ展。

そもそも写真の始まりの時期には、

一度に全画面を写すことができなかったため、

部分部分を写してあとで合成することが普通だった。

つまり、コラージュが必然的だった。

むむ、そうか。

写真の始まりからすでにコラージュだったのか。

○石内都「マザーズ」

母の衣服、持ち物、部分を細密に描写する。

なるほど、光の当て方なんだと納得する。

○「パラレル・ニッポン」現代日本建築展1996-2006。

わたしが東京から離れている間に、

東京だけでなく、地方でも、これだけのハコモノがたてられたのかと

驚く。

正直言って、上海などに迫力を感じるのだが。

日本人建築家も、中国での建築物には自由な

インスピレーションがわいているのではないか。

日本の建築になると何となくこぢんまりとしてしまう。

展示はまるで大学建築学科の卒業展示かと思うくらい。

ある母娘がいて、娘が、

「建築途中の写真はいいね。レインボーブリッジの、橋の足だけが写っているやつ、おもしろいね」と語っていて、母親も何か肯定的な返事をしていた。

わたしの感受性はついてゆけなくて、

だって、それはただの橋の足だしなあ、などと思っていた。

最近のカチャカチャした音楽はみんな同じに聞こえるし、

展覧会を見ても、やはりピカソまでで限界だと思うし、

でも、感受性が鈍ってしまうほど忙しい日常でもないし、

というわけで、もともとわたしは現代芸術には向かないのだと

信じてしまった。

自分の感受性の限界を突きつけられた文化の日であった。