「進学校」で家庭科や世界史を履修したと申告して、
実際は高校で受験科目を勉強していたとする問題。
何年も前から誰の目にも明らかであったが、
安倍総理就任以後に議論された。
世界史や家庭科を履修しなかった生徒からは、
「世界の歴史について知りたかった」とか
「家庭科の実習も受けたかった」などの
「生の声」が新聞に掲載されている。
どっひゃー、驚いた。
マスコミって、何?
教育基本法問題が出てきて、
にわかに「履修科目偽装問題」で校長に謝罪させるなんて、
マスコミの死だ。
なぜ、教育基本法「改悪」のための推進力となるためだと、書かないのか。
おかしな「生の声」を載せて、
それこそがマスコミの自殺だ。
そもそも学校で習わないから、
知識がないなんて、ありえない。
世界史ならば
くだらない授業を受けるよりも、
ビデオの一本も見た方がいいし、
旅行に行けばいい。
本を読む力があれば、いくらでもいい教材はある。
そのために、日本語力と英語力が必要なのだ。
歴史の嘘を見抜くために数学的な論理力が必要なのだ。
日本語、英語、数学は、演習が必要だと思う。
世界史は各自が勝手に読めばいい。
それで分かるようなら分かるのだし、
分からないなら、何をやっても分からない。
時間数の問題ではない。
教師の力量の問題でもない。
子どもの頭の程度の問題だ。
教師の歴史観は複数の歴史観のひとつでしかない。
複数の歴史観を比較するために、
どうしても、かなりの冊数の勉強が必要になる。
授業時間数が知識や判断力の源泉または保証ということは決して、ない。
あるはずがない。
70時間で、世界の歴史を日本の高校生が理解できるはずはない。
新聞を毎日、「批判しながら」「厳密に」(criticalに)読めとアドバイスしたい。
できれば、昔の新聞を引っ張り出して、
ひとつの題材について、系統的に検討して欲しい。
スクラップブックを作って欲しい。
そこから系統的な嘘、虚構、でっち上げ、ご都合主義、日和見主義、偏りを、
徹底的に感じて欲しい。
誰のために偏ってしまったのか、
敏感に感じて欲しい。
感じられないなら、自分の身を守れないということだ。
突撃隊に編入されて、おしまいだろう。
日本語が読めて、論理力があれば、できることである。
家庭科なんて、「標準的な料理」などあるはずがない。
自分の食べものを作ってくれている人に聞けばいいのだ。
いないなら、コンビニの弁当の作られ方をレポートすればよい。
料理の本は山のようにある。
毎日テレビで放送されている。
今さら、高校で習わなくてもよい。
普通の頭さえあれば。
教育は、読み、書き、論理力であり、
価値観はその先、それぞれの判断の問題だ。
社会の各科目は、実は、先生は必要ない。
あるいは、文部科学省推薦ビデオ全70巻でも作れば、
それをまず一通り見て、そのあと批判することもできる。
わたしなら、馬鹿な教師の70時間の補修など、聞きたくない。
読めば分かる。
むしろ、教師用の指導書を公開して欲しい。
教師たちよ、あなた方に、歴史を教えるなどできるのか?
それにしても、いままで、世界史の教師は何をしていたのだろう。
教科以外の仕事をしていたのだろうか。生徒指導とか?
社会科教師という免許も変だな。
というわけで、
品川ランチとしては、
社会的リソースをこんな低次元の報道に消費してしまっている現状を
嘆く。
大本営発表と同じだ。