桜の花は刑務所と病院によく似合う。
両方に所属する刑務所の医務官というのがいて、
加賀乙彦などが勤めていた。
大変らしい。
映画「手紙」 [原作:東野圭吾 出演:山田孝之、沢尻エリカ、玉山鉄二]
を見て、柄でもないけれど、泣いた。
なぜなんだろう。
この世界のどうしようもなさがあるから。
受刑者の弟として生きなければならないこと。
そんなことで差別している奴らは全然立派じゃないのに。
小さな人間なのに。
でも、どうしようもない。
そんなことが世の中にたくさんある。
たとえばある種の病気。
皮膚に病変が出たりすると、伝染性はないのに、誰とも遊べない。
たとえば貧乏。それだけで子どもの交友範囲が制限される。
たとえば片親。それだけで結婚を渋る親もいる。
たとえば娘を看護婦と教師にだけはしたくないという親。どんな気持ちでそんなことを言っているのか全く分からないが、そんなことを言った。わたしの血縁には教師もいれば看護婦もいる。
両親が死んでしまっている人もいる。生きてきただけでも誉められることも多いのに、親さえいればこんな人間にならなかったと濡れ衣を着せられた。
すべては、償いのつかない、刑法では裁けない、罪である。
かといって、すべてについてリンチでケリをつけるわけにも行かない。
人を傷つけるのは、愚鈍で邪悪で卑怯で、つまりは、普通の人間だからだ。
普通の社会はこんなものなのだ。
そして中に少しだけ、一時的にだけ、いい人がいる。
そんなものだろう。それ以上期待するのは世間知らずである。お馬鹿さんである。
無限に傷ついているがいい。
ああそんなにも心を傷つけられていたのかと、
私は涙している自分を見て思った。
もうそんな場所に行かなくていい。
もう充分だ。
あとは静かに自分の心を豊かにする方向で生活して欲しい。
そう自分に対して思った。
もうこれ以上、心に血を流さないで欲しい。
例えば、道ばたで人が倒れている。
誰かが助ければよい。しかしそれは、匿名で救急車を呼んでやれば、
充分なのかもしれない。
助けようとすれば血を浴びるかもしれない。
それはエイズの原因になるかもしれないし、肝炎の原因になるかもしれない。
助けようとした時に完全にはできなくて、
かえって逆恨みされるかもしれない。
完全にできないのなら、救急車に任せればよかったのだと言われかねない。
産科の医師はそんな目に遭っている。子どもの障害はおまえのせいだと責められる。
だから、分かっていても、知らんふりで通り過ぎる。
神に謝罪しつつ、倫理感情を麻痺させつつ、
通り過ぎるのである。
映画後半の和解の感情。
それは是非あって欲しい。
それがない世の中ならば、一体人は何のために生きているのだろう。
しかしそれは半ばの夢物語なのだ。
そんな和解はどこにもありはしない。映画の中にあるだけだ。
そのような世界で、
なおも自分を支えて生きてゆく方法がどこにあるのか、
神よ、教えてください。
どのようにして、崩れてしまわないように、
自分を支えることができるのでしょう。
むしろ、この世に属するのではなく、
神の世に属することでしか、達成されないのかもしれない。
ただ絶望だけがある。
ただ過剰な防衛だけがある。