テレビで紹介していた。
翻訳もうまかった。
やたらに長くないのもいい。
アメリカで9.11に際して朗読された。
イギリスでテロの犠牲者が手紙に引用した。
日本でも受け入れられた。
詩の内容は実に感動的ですばらしいものだ。
この詩に慰められて生きているという人たちがいる。
言葉は力だ。
わたしはお墓にいるのではない
風となり光となり
あなたのそばにいる
あるいはどこにでもいる
死は忘却ではない
亡き者は生きる者の心に存在し続ける
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アメリカ、イギリス、日本の各国で受け入れられているということは
何を意味するだろう。
大岡信の文章で、日本の詩の特性について知ったばかりである。
もう、日本人独特の死生観などといっている時代ではないのだろうということだろうか。
独自のものと言い張ることなく、
共通の何か、共有できる何かを大切にすれば、
それがいいのかもしれない。
どの文化も、そのようにして内容を鍛え豊かにしてきたのだと思う。
作者不詳で、書くにあたってどのような状況・動機であったかがはっきりしていない点も、興味深い。
大岡信によれば、西欧の伝統は、個人の個性、才能、天才を評価するものであり、
一方、日本中世歌謡では、作者不詳が多く、成立の背景も分からないものが多い。
しかしこの場合には、
作者の個人的な事情など抜きにして、いい詩であると評価される、そんな作品である。