莫言の小説、(彼の挨拶やエッセイなどは全くそうではない)
大江健三郎の小説、(彼のエッセイは実によい)
ガルシア・マルケス、ギュンター・グラス、その他、
細部が実に物々しくグロテスクであるような人たちがいる。
大江健三郎は小説の方法の中で、そのような『異化』という作用について
紹介して意識的に方法として用いている。
細部がくっきりと存在を主張し、読む者の空想力は、
時にあらぬ方向に乱反射して、独自の読書体験を結実する。
そのような体験を望むか?
わたしはどちらかといえば、望まない。
静かで、均整のとれたものを最近は好む。
しかし若い一時期、そうした、細部のコラージュのような作品を好んだ覚えもある。
あらすじが問題なのではなく、エピソードが問題なのだと、問題意識を意識していたこともある。