YXとXX

まあ、ブログ話なので、すこしほらも混ぜて言うとして、
YXという男性が、なるべく自分の遺伝子を残そうと思ったとする。
女の子も自分の子だからなんて言っていると、
自分YX+妻XXとして女性だから
XXとなる。ここまでは確かに自分の子だ。
その次に、誰か男性と結婚したとして、配偶者YXがくっつくと、
子供はYX、YX、XX、XXとなる。
自分の遺伝子が入っている確率は1/2になる。
おじいちゃんだからそうなるね。
しかし、XとXはいくらでも取り替えがきいて、確定的に見分けはつかない。
そしていつの間にか、YXの遺伝子は全く保存されない恐れがある。
それに比べると、Y遺伝子主義は、
とにかくYが受け継がれることは間違いない。
やはりY遺伝子戦略がいいだろうということになる。

しかしそんな原則を立ててY遺伝子を残したとして、
それがどうしたというのか、ちっとも分からない。
それがいま問題になっているY遺伝子の最終形質としての
「癖」「傾向」なのだというなら分かるが、
男の子だけを自分の子供と認める傾向と
そのY遺伝子がリンクしている可能性はあまり高くないだろう。
y遺伝子はもっと要素的なものだとおもう。
男系相続制はもちろんもっと文化的なものだ。

それに、そもそもの始まりからして、
男の子が生まれても、それが自分の子なのかどうか
確かめる方法は従来はなかった。
Y遺伝子主義とすれば、自分の父も兄弟も同じYを持つのだから、
同じ屋根の下に住む誰のY遺伝子だったとしても、それは同じ意味を持つ。
みんなで「子供を生む機械」である子宮を共有すればそれでもいいことになる。
ね、そうじゃない?

だから、華麗なる一族で、
「おまえは俺の子じゃない、オヤジの子だ」という場合、
いずれにしても同じYなのだから、
気にしなくていいんだってことになる。
自分を残そうとするYだったら、
オヤジのYでも自分のYでも、
いいはずなのだ。

もちろん、YとかXがそんなにすべてを決定するわけでもないし、
こんな話で本当に説明ができるとも思えない。

それより、もの悲しくも哀れなのは、
Yは、そもそもXの一部がちぎれて、残った部分だ
というじゃないですか。
精子が泳ぐには身軽になってよかったのでしょうね。

それにしても、Yは失った一部を補償しようとして、
やたら攻撃的暴力的になってしまうのだと、
遺伝子の郷愁とでも言うべきものを感じる。
男の子が乗り物がやたら好きなのも、補償なのだと思うわ、わたしは。
中身が足りないから、大きくて強い乗り物が欲しいのでしょう。