コンピュータでワープロソフトなんかを扱うときに、
文書ファイルとテキストファイルがあります。
文字の飾りや文書の体裁などを含めたものが文書ファイルで、そのまま印刷できます。
それに対して、テキストファイルは、文章の内容だけです。
この差異を考えてみると、
テキストファイルの中にも、まだまだ文章の「語り口」とでも言うものが
含まれていることが分かります。
たとえば小説家は、単行本から文庫に収録され、さらに電子書籍に移されたりして、
そのときどきにいちいち文句はつけないでしょう。
テキストファイルとして一貫性があればいいと思っているはずです。
現代詩を書く人などは、もちろんそれではだめでしょう。
フォントを指定したり、ページのどの位置に文字を置くか、指定することもあるでしょう。
文書ファイルでなければ伝えることができません。
さてそれでは、テキストファイルから、語り口を脱色して、
事実関係のみを伝える部分を独立させることはできるかと考えます。
そうした内容をAとすれば、
それを大江健三郎ふうに語るならa1、
村上春樹ふうならa2といった具合になるでしょう。
「何が」がAであり、
「どんなふうに」を加味した結果が、a1やa2となります。
翻訳で保たれるものはAであると一般に考えられ、
a1と翻訳されるなら、
そして翻訳者はそれを目指すに違いないのですが、
かなり腕がよかったと言うことになります。
文書ファイル=テキストファイル+体裁
テキストファイル=「何が」A+「どのように」
「何が」のA部分を知ることを目的にするなら、速読も要約も有効だと思います。