スタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに」早川書房-1

スタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに」早川書房


●ずっと読みたいと思っていた作品。今回初めて読んだ。
●まず映画に出会った。タルコフスキー版1972年「惑星ソラリス」。この映画では、想念が実体化するという状況の中で何が起こりうるかが刺激的に問いかけられている。男は自分の想念の実体化である、亡き妻と接している。愛に溢れていると自覚して、妻の腰ひもをほどこうとするのだが、ほどけない。どうしてもほどけない。ほどけない「こと」は、やはり想念の実体化である。男の心理の内部に、妻の腰ひもをほどけない何かの事情が潜んでいたのだと考える。
●二度目の出会いはやはり映画で、2002年ソーダーバーグ監督「ソラリス」。観念的な話題は前面に出さず、女の自殺にいたる経過を描いていたように思う。美しい女性であって、美しすぎて、それしか印象に残っていない。
●ギバリャンという名前がとても印象的だ。日本でギバは最近は柳葉のことをいうらしい。
○「ソラリスに関して、問題になっているのは、われわれ自身のことであり、人間の認識に限界があるかどうかの問題なのだ」
●これ関しては、私としては、明らかに限界があるはずだと思っている。或いは、限界線を少しだけ拡張することに成功したとしても、外側の領域が無限に広がることを改めて感じざるを得ない。拡張することが無意味なほど、原理的に敗北しているのだと思う。
○ただ飽きもせずにその姿を変化させている。
●そこに意図を読みとるか、単に物質的な変化に過ぎないのか。
●海の謎に挑む態度は、推理小説のようである。いろいろな可能性を高度な知性が仮説を立てて、立証しようとする。立証しようのないほどの理論であることも多い。しかしその思考実験の中身は、実によく考えられていて、どうしてこの人が現実の科学探究に向かわなかったのか、不思議である。この人の能力が最もよく発揮されて、報われる場所は科学研究の場であったはずだ。レムの小説「捜査」によく似ている知性の態度である。多面的に客観的に検証する態度。命がけで信じるとか、そんな態度とは遠く離れている。
●このような著者から、読者は多くを学ぶ。知的な態度とはどのような態度であるか。知的な書き手の態度とはどのような態度であるか。