燃え尽きた 矢吹ジョー

テレビで矢吹ジョーの話
最後のシーンで彼は死んだのか
それとも死んではいなくて明日のためにまた歩き始めるのか

いずれとも決めがたいのだという
それでいい

いずれにしてもそこにあるのは完全燃焼した矢吹だからだ
燃え尽きる
そこまで生き切る
それがいい

つらい苦しい経験であった
しかしその中で私は生き切った
そして完全燃焼した
過去の時間に悔いはない

そのことを改めて気付かされたのだった

いろいろあった
そしていずれにしても私は完全燃焼した
再びチャレンジするとしてもあのようにはできないだろう
そのような日々を送った
確かに送った

そう思えるのだ

まだ解決できていない問題はある
そのことに取り組まなければならない

しかしそのときに
私は思い出したい
私がこれまでつらいときに支えられたのは
宇宙の星の遠さと、
人間の唯物性によってであった。

星の世界の何と遠いことか。
そして宇宙はどこに浮かんでいるのかも人間は知らず、
時間が何であるかも知らず、
それでも一日割き、一年先を考えて生きているのだ。
この星の光は何万年も前に発生したものであり、
地球に届くまでにはるかな時間を要し、
届いたいま、すべてのことは過去になっているのだという、
遠い遠い思い。

人間のなんと言う唯物論的であることか。
人間を解剖する。
徹底的に唯物論的に解剖する。
そこに心などなかった。
あくまでも物質なのだと突きつけられた。
それは圧倒的な破壊力で私の認識を変えた。

そんなことも思い出そう。
そして、いまは思う。
あの時間、私は燃え尽きた。
それほどの時間を生きた。
それは言ってみれば、わたしの、人生に対する熱心さだっただろう。
それでよい。
結果は人間の配慮を超えるところだ。
受け入れるしかない。

燃え尽きたのだという事実を敬虔に受け入れる。
そこからまた明日は出発できるのではないか。