読みかけの小説

仕事に関してのことがにわかにやかましくなり

私は、脳が仕事モードになってしまうと、

ゆっくりと小説を読んでいられないたちであることは承知しているのだが、

今回も実際、その通りになっている。

大江健三郎「憂い顔の童子」を読みかけている。

先日までは、大江ワールドの中で、イメージのふくらみを楽しみ、

言語の力を楽しんでもいた。

しかし脳の仕事回路が発動してしまうと、

小説は色あせて萎んでしまうようだ。

仕方がないので、そばにあった、

安岡章太郎「海辺の光景」を読んでみた。

ますます頭になじまないことが分かった。

なじまなくなると興味がなくなることはもちろんなのだが、

途中で本を置いて考え込んでいることが多くなる。

また、夜ならば、うとうと眠り、その間に、自分なりに物語を進行させていたりする。

すこしして起きて、また文章に沿って進み、またうとうとして、

自分の物語を進行させたりしているようだ。

文章についてもそうで、

うとうとしつつ、自分の文章を「読んで」いることがある。