書物の中で独自の宇宙を形成するのはいい
その中でさらに独自の仕方で物事の関係を規定していくのもいい
しかし振り返ってみて、
それはまるで本地垂迹説のように、
どうでもいいことではないだろうか。
本来的に無駄なことではないだろうか。
新日曜美術館で、神々と仏の対応図が紹介されていたのだ。
それでこんなことを思った。
そもそも神とは何か、仏とは何か、はっきりしないままに、
それらの関係を図で示すというのだから、でたらめであるけれど、
描いた人としては、絵の練習のつもりだったかもしれない。
そう思えば、紹介の仕方が間違っているのだと思う。
物語の内部も一種の神学である。
結局は好き嫌いの問題になってしまうのかもしれないが、
そのように回りくどく物語の形にしなければならないのが私には分からない。
物語でなくても分かるじゃないか。
そう思ってしまう。
そしてこんな風に思う瞬間に
私になど支持されなくてもいいのだと物語りはつぶやいている。