中世は「死の舞踏」のイメージ。
人生とは死(骸骨)によって導かれる阿呆踊り。
恐怖と虚無的シニシズム。
その後は「狂気」のイメージ。
フーコー「狂気の歴史」
治療か収容か閉じこめか
理性主義が固く確立されるに従い、
狂気は排除される。
トマス・ウィリス「(狂気の治療には)威嚇と、縄と、鞭が必要である。(狂人は)医術や薬によってよりも監禁室における体罰と重労働によった方が、より早くより確実に癒される」
そんな、軽い基本枠組みを作っておいて、
ルネサンス期に入り、「道化」のイメージ。
本書では、エラスムス、ラブレー、シェイクスピア、セルバンテスを取り上げている。
何か中心になる仮説があるというのではなく、
時に文化人類学、構造主義のような言葉を用い、時に精神分析の言葉を用い、
要するにこの本が書かれた当時の流行を取り入れながら、
書かれている。
特にシェイクスピアの項目は、セントラル・スキームを検証するというのではなく、
シェイクスピアについての雑学であり、導入であり、
いろいろなヒントを含んでいて、ここから出発しようかという感じのもの。
最後のセルバンテスについては、「道化」についての、
見通しのよい総論となっていると感じる。
主人と道化の二人組が文学史にどのように現れているか、
そのような切り口で見ると、こんなにも面白い。
全体に、同じことをもっと易しく言うこともできるのだろうけれど、
それでは、全体の香りが失われてしまうということなのだろう。
そのような語り口をエンジョイするための本なのだ。
高橋先生という人が、
こんなことを考え、書いて、講義しつつ、
人生を生きたのだなあと感慨を持つ。