何とも救いのない話である。
すべては最悪の結末に向けて流れ込んでゆくのだ。
これが人生だとすれば、
どうして生きなければならないのだろうか。
光はどこにあるのか。
主人公にとっても、周囲の人にとっても。
不思議なことに、
ビルの高層階から地上を見下ろす構図が
頭に思い浮かぶ。
地上では、主人公が報われない必死の努力を重ねている。
ビルの上から私はそれを眺めて、
読書の楽しみはこれかなどと思っている。
主人公は苦しいが、そのことを認識することは、楽しみの一種である。
そして色即是空とか空即是色とか考えてみる。
地上では、主人公が仕事でも人生でも行き止まりの現実に、苦しんでいる。
ビルの上から私はそれを眺めて、
しかしそれでも、主人公は、大切な何人かの人間に支えられて生きた、
そのことが人生の実質なのだと思っている。
それは生きるに値すると思っている。
私自身も、地上で生きる人間としては、
人並みに苦しみの中に閉じこめられている。
紀野一義の書くところはこうである。
般若心経の「空即是色」の風光は、自己を否定し尽くした究極に、突如ひるがえって、仏のいのちの中に生かされているという実在感・肯定感を持って生きる人生を指している。
仏のいのちの中に生かされている、空即是色、これが、
高層階から地上を見る視点であると思う。