長い労働の果て、
やっとたどり着いた休日の始まりの日、
私はむさぼるように眠り続ける。
ただ水分を補給しながら、
カーテンを閉ざしたまま、
電話も鳴らず
訪問者もなく
眠り続ける。最初に起きたのが午後三時、
レトルトカレーを食べて、みかんをたくさん食べた。
また眠り続けて、さっき起きのが八時だ。
何か買い物に行かなければならない。
夢の残滓にまみれている。
今はもういない家族が、いる。
それぞれに忙しく家で何かしている。
私の友人も一人途中から来ている。
お前んとこのお母さん今いくつだっけ?
なんて聞いて、そのあと、自分の親の歳を計算してみた。
もちろん今は生きていないから空しい計算だ。
亡くなった子供の歳を数えるなどというが、
私はなくなった親の歳を数える。
それくらいしかすることもない。
この家はよく理解できない安普請の家で、
急に作ったらしく、
同じ建材を単調に繰り返して、全面を構成している。
ただ電灯のスイッチがあるだけだ。
そこで妹は、友人と私のために食事を用意している様子だった。
わたしは夢の中でも半分寝ているようで、
友人は勝手に私の本棚のものを引っ張り出して読んでいたようだった。
イリヤ・プリゴジン、その本は結局何にもならないよ、
お前の出世に必要なのは別の本だよ、
そんな思いが胸を掠めた。
無論、そんな思いより、正確に深く、その友人は自分の将来をつかんでいる。
余計な話なのだ。
私は早めに身を固めようと思うなどという話を
友人に話したくなっていた。
友人は驚くだろう、そして、あてはあるのか、ないなら、いろいろ知っているよと、
つなぐだろう。
人材資料センターのようなやつなのだ。
こんないいやつが人生の一時期私の友人であったことが
懐かしい。
夢の中でもそれはすでに薄くなってしまった絆として感覚されていたかもしれない。
母親は外で何かしていたように思う。
広い庭のどこかで人の気配がする。
愚かな話だが、夢の中に出てくる母はいつもどの年代でも美しい。
神様はそれくらいはご褒美をくれる。
ありがたいものだ。
なくなって実に長い時間がたつ。
夢の中でさえ、生きているのかと錯覚することは、ない。
こんな夢を見ているのかと理解しているようだ。
親はいない、それなのに気配がある、それならば夢に決まっている、
そのように三段論法が構成されるようだ。
親はいない、これは無条件の前提である。他に前提しようがない。
夢の中ではすべてが美しい。あるいは、すべてがきつくない。
比較的おだやかに、すべては進行する。
長い眠りの中で、幸せな夢だった、そして、目が覚めて、
わたしはこの現実をニュートラルに受け止めようとしている。
だって、それしか、仕方がないのだ。