少子高齢化と整合する資本主義を構想しなければならない。
アメリカは移民がたくさん。
資本主義は変質。
ウェーバーもプロテスタンティズムも、大塚久雄も、ロビンソン・クルーソーも、
共有されていない。
そんな中で、リバタリアンが発言するのも無理はないと思ってしまう。
中国の赤い資本主義はまた違った方向なのだろう。
インドやブラジル、ロシアにも、事情はあるのだろう。
日本の事情は、少子高齢化の進行と資本主義の関係である。
昔は税金を使って道路をつくれば、まず土建屋さんが儲かり、
そこから地域にお金が回っていく。この人たちは貯金しないで使う。
道路ができたおかげで土地の値段が上がる。売って儲けて、使う。
買った人は商業施設をつくって、公共事業でばら撒かれたお金を、
今度はここで消費してもらうように計画する。
農家は、道路ができて、土地が値上がりするのを待っていればよかった。
今後は、税金の関係もあり、相続放棄されるのではないだろうか。
耕す人のいない荒れた土地が放置されている。
そうなった場合の資本主義は、根本的に訂正が必要なのではないか。
「神の見えざる手」は、「老人で、何かを作る技術もなくて、資産もない」、
そんな人たちをどうする予定か、聞いてみたい。
老人で働けないは年なんだから仕方がないとは判定されない。
働く意欲がない、または、働けるときに蓄えておかなかった愚かな人、あるいは、働けけるときに自分の面倒を見てくれる子供を育てておかなかった怠惰な人とみなされる。
生産技術がないひとは、時代に取り残されたとは判定されない。
刻々と学ぶことはあったはずで、それを怠った怠惰な人と判定される。
日本は派遣労働者使い捨て主義で、熟練する暇もなかったと言い訳しても、
それはあなたが愚かだったからと判定される。
資産がない人は、田舎の土地が資産ゼロになるとは思っていなかったといっても、だめ。
そんなことは分かりきっていたはずで、
インドのマンションをなぜかって置かなかったか、つまり怠惰だったからと判定される。
要するに、怠惰な人間は、凍死しても餓死しても自己責任だと判定される。
それは多分、中国で生産され、インドでプログラミングされ、
すべての特許は米国が持っている、見えざる手・自己責任判定コンピュータ。