日本人女性がなぜオリンピックでメダルを取れるのか

ジンバブエの男は言う、
「チームの勝利のためなら、個人的なことは小さなことです」
なんて、プライドがないのか、あの男は、と
テレビに出てニヤニヤしているプロ野球選手を怪しんだ。


そんなに金に困っているのか。
普通に働けない事情でもあるのか。
自分がいやだと公言しているポジションを割り当てられ、
それでも見世物をやって、
挙句の果てはチームが勝つのが一番の目標だと言っている。
これは正常な男ではない。


スポーツは男のプライドの証明ではないのか。


なぜ日本では、男が男らしく、女が女らしくしないかと言う。
そんなことを言ったら、各方面からつるし上げにあうのだと説明すると、
男は男なんだから男であるしかない、
女も同じ。それが、両方似てきてしまっているのが
いまの日本だ。


女が子供を産みたくないと言うのが信じられない。
日本人は自然信仰があるのではないのか。


男は子供を産まないのだから、女も産まない、
まさかそんなことはないだろうね、と言って、ニコニコしている。


いや、ひょっとしたら、深いところ衝いているかもしれない。


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日本人女性がなぜオリンピックでメダルを取れるのか。
途上国よりも生活が豊かだから。
スポーツの時間があるから。
しかし、日本男性よりも成績がいいのはどうしてだろう。


逆に、日本人男子はどうして負けるのだろうか。


ここに男女格差があるのはなぜか。
中国は多分、男女とも、大幅に勝つだろう。
動機が違う。退路が違う。


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男性は男性らしく、女性は女性らしくという社会では、
人間の徳目は自然に、男性型と女性型に分化する。
男は強く、正しく、リーダーとして。
女は忍従と寛容と服従と貞節。


もちろん、男女であることよりも、人間であることが大切なのであって、
名簿は男女混ぜて、五十音順で呼び、
優しいことは人間として大切なことと物語に書かれている。


男として大切なことは、実質、ない。
女として大切なことも、実質、ない。
人間として大切なことがあるだけ。


これは本当なのだろうか。
男が男である社会では、男がオリンピックを目指し、
女は内助の功を果たし、子供を産み育てる。


日本の女は内助の功と子育てを放棄して、オリンピックで戦う。
しかも、女子柔道氏とか、テコンドー、リスリングとか。
好きだからというよりも、メダルを取って有名になるためのようだ。
小さな隙間を狙う。
まあ、それも、責めるつもりはない。


日本女がメダルを取るのはわかった。
子育てせず、介護せず、
後進国にはスポーツがなく、
先進国の女性は、子育てと内助の功で忙しい。
日本女性しかいないじゃないか。
強いはずだ。


しかし世間を広く見渡すと実にさまざまな競技がある。
競技人口は少なく、国際試合などないくらい。
世界融和の演出のためだろう。


日本男は、練習時間もそれなりにあるはずだけれど、勝てない。
サッカーなど。試合は負ける。インタビューはバカを暴露するで、
日本人に愛されるにはぴったりだ。


男が勝てないのは、心身の幼児化である。
男性ホルモンや成長ホルモンを使って、まず心身を大人にすることが第一ではないか。
真のグローバリゼーションがこのあたりに効いてくれれば
よいのだけれど。


子供の形のままで勝ちたいと言う方が無理と言うものだ


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そんな伏線があり、
ジンバブエの男は言う。
日本の男女は、何が本質的な男女で違うのか、わからずに、
恋愛をしているようだ。
極端に言えは、セックスがなくても、同性愛でも、あまり変わりしない。
他の人では取替えがきかないのだ
だからそ人でなければだめなのだ
と聞くこともあるが、説得力のある内実は語られない。
偶然その人のスパゲッティが上手で、
だから別れなれないと言っても、
それは大人の議論じゃない。


現実のあれこれをどのメタレベルで考えるかで、そのタイミングが一致していれば、
夫婦の会話としてもかみ合うだろう。
トスカーナ三ヶ月の予定を立ててみた、旅行会社に行ってみた、3ヶ月という積極的に理由がないなら、
まず2週間くらいにしておいた方がいい。
奥さんはイタリア語もできるし、何度の言っているから、正確も向いていると思うから、長期でもいいとおもう。
ご主人は難しいかもしれない。時間をかけて慣らして行って、先に場所を決めてそこになじむのではなく、
なじめる場所はどこか探して。さして決めたほうがいいだろう。
そうした実際のスケジュールが始まっている中で、これは現実からの逃避なのか、新しい人生の第一歩なのか、考える。混じっているとしても。
この年代でこのことをすることの得失を考える。捨て鉢な方が近い。
実際にやってみて、現実をわかりやすく残しておくことは意味のあることだろう。
芭蕉の旅日記の拡大版である。
ミラノでの買い付けを拡大できる。
イタリアの生きを学ぶことで、同じように古い文化の伝承者がどのように生きられるか、示せるのではないか。
ユーロの現実にも興味がある。日本で道州制が語られる一方で、ユーロという国境を越えた制度。
その中で、貴族の勢力と、知的エリートたちの妥協点。
キリスト教の現在、サンピエトロで計画していること、世界が待っていること。


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それはともかく、しばらくの間、戦争に行く前の兵士が大言壮語を語り、
おおはしゃぎして送り出す、結果はよくないとしても、
誰もそのことに触れない。
そのようにしてしばらくは経過するだろう。


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男は人間らしく、女は人間らしく。このように理想を語る一方で、
オリンピックのメダルを追いかけ続けるマスコミという複合体。
給料高くても、外部発注しているのでは、才能を生かせないではないか。