人間が時間を体験する密度には
明らかに差があるように思われる。
ある人はわずかな体験でもよく消化し
多くを考え感じている。
ある人は非常に大きな体験に際しても
何も考えず何も感じずに通り過ぎている。
この差はいったい何だろう。
話を聞くにはもちろん
多く考え感じている人からのほうが興味深いのだが、
幸せなのはどちらかといえば、どちらとも言いがたい。
まれに、濃密な時間を生きている人間というものが存在し、
わたしを驚嘆させる。
その目はビデオカメラのようであり、
理屈っぽい小説の描写のようでもある。
人間は実に恐るべきものである。